カヤックを習いにネパールへ。

こんにちは。

南国ガイドです🏝

 

去年の春からリバーカヤックを始めて岐阜の長良川で練習してました。

人にも環境にも恵まれて暇さえあれば川にカヤック乗り行って、ひっくり返されて、ロール出来なくて泳いじゃって。

川でひっくり返ると上も下もわからない程グチャグチャに揉まれる事もあるんですけど、そんな状況で思い出した状況があって…

これから揉まれるところ。

 

子供の頃に海で波に体当たりするだけの簡単な遊びが好きで波に負けるとそのまま呑み込まれて水の中でグルングルンになるんです。

もうその状態が意味わからなくて、しかもそれが自分にはたまらなく面白くて、ブハーっと顔出した時に腹抱えて笑ってまた波に当たりに行ってたんです。

 

あの無邪気に楽しかった感覚が自分の中から湧き上がってくるのを感じて、水から顔出せた時に思わず笑っちゃってました。

その楽しさを持って好きなカヤックが出来る状況が面白くない訳なく、久しぶりにカヤックに対してやる気に満ち溢れてました。

 

暇さえあればカヤックしに行ってる。

そんな状態で4ヶ月位が過ぎた頃に同じ社宅で暮らしてたネパール人のおじさんのラビさんから「そんなにカヤック好きならネパールおいでよ。」と声をかけてもらいました。

なんでネパール?と思い話を詳しく聞いてみると、ネパールはエベレストや世界最高峰レベルの山々が有名で、その斜度が作り出す川も世界的に凄く有名なのだとか。

自分の腕を試しに世界中からカヤッカーが川を求めて来るような環境なんだそう。

 

そんなネパールの川の有名なアクティビティはラフティング!

過酷な環境で育てられたガイドの腕は世界で通用するそうだ。

実際、腕を買われて世界中の川に稼ぎに行くネパール人は多くいて、ネパールの賃金と比べると大金を稼ぐ事が出来るので憧れの職業の1つなんだそうだ。

僕に声をかけてくれたネパおじのラビさんもその経緯で日本でラフティングガイドをしている。

 

でも、それはカヤックじゃ無くてラフティングの話じゃないか。

と思って聞いていたらラビさんは話を続けて、

ネパールでラフティングガイドになる為に新人は最初にサポートカヤッカー(以下SK)と言われる役割から覚える。

この人達はカヤックに乗ってラフティングボートと一緒に行動しながらボートから落ちた人や物を回収してボートに届ける役で、ラフティングのガイドになりたい人はみんな通る道なんだそう。

 

ラビさん曰く知り合いのラフティングショップを紹介するから僕もそこでSKをやってカヤックの腕を磨くといいよとの事だった。

 

 

いきなり現れた選択肢ネパール。

いきなりでかなり衝撃的だったけど、今の生活を続けるよりはいい気がした。

今よりもっと難しい環境で周りの人たちのレベルも高いとなると求められる技術や経験はもっと上になる訳で、上手になるしかない場所で過ごせたらリバーカヤックのガイドもやりたい自分にとって最高な時間になるとしか思えない。

 

ひっくり返ってるの僕。

 

悟った瞬間。

 

即答で「ネパール行きます!」と言いかけた口が固まった。

 

 

そういえば、僕カナダ行く予定じゃなかったけ?

去年からその予定で沖縄を出て、冬にはワーホリのビザを取って春には行く予定で取ってたチケットが航空会社からキャンセルの連絡が来て全額戻された丁度その時に、リバーカヤックにハマってじゃあ夏終るまで川で過ごして冬からカナダ行こうと思ってたんじゃん。

 

しかも、シーカヤック発祥の地域を自分で感じたいから行こうと思ってシーカヤックのガイド仲間とか先輩とかに、その話をあちこちで言ってたら色んな人に応援して貰らえて友達たちからは防寒具でソレルのかっちょいいブーツまでもらっちゃってたじゃんか。

みんなからもらったブーツ。



そんな色々夢語りまくって、応援してもらって気にかけてもらってるのに今更変えるとかはダメだ。恥ずかしすぎる。

そもそも海に最近全然行ってないし、またここはいっちょやる気出して自分で言ったシーカヤックに専念するか!!

 

 

 

 

そして1ヶ月後、僕はネパール行きの飛行機に乗ってた。

座り疲れでボーとする頭で、窓からプカプカと雲の浮かぶ快晴な青空とそれを遮る飛行機の羽を眺めていると急に眠気がぶっ飛んだ。

遠くに雲よりも高くに顔を出してる山々の頂が見える。

 

山見える?

 

これか!噂の山達は。

僕はここから流れ出た川を漕いで、さらにSKというサポート役までする余裕もないといけないのか!と思うと今の自分には無理だなと思えて急に緊張してきた。

着く前から想像の何倍もの激流が待っているんだろうなと実感させてくれる風景に度肝を抜かれて、僕はやっぱりカナダにすればよかったかなと少し後悔したのであった。