遂にネパールの川下り。

 

今日の湿度は94% どうも南国ガイドです🏝

 

前回、ネパール行きの飛行機で話が終わったのでその続きから...

 

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ネパールに着いて空港を出ると11月半ばでも少し蒸し暑い空気と大勢のタクシーの客引、そしてその中に混ざってラビさんが出迎えてくてました。

 

「南国さーん こっちこっち。」

 

「あ!ラビさーん!!」

 

僕らは握手と軽くハグをしてネパールでの再会の挨拶をすると同時にラビさんは、「遅いよ!南国さん!」と不機嫌そうに一言。

僕は全力で謝ります。

 

というのも、乗り換えでフライトが2時間遅れて連絡も出来なかったので、ラビさんも2時間待ちぼうけを喰ってたんです。

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↑トランジットで見たクマ型のスタンドライト

 

それでもそんな一言だけで済ませるラビさんに懐の深さを感じました。

僕もそんな余裕のある大人を見習わないといけないな。

 

まあでも流石に2時間は帰るけど。

 

ラビさんと僕は翌日から2泊3日で一緒にカヤックに行く予定。

日程は現地を知ってるラビさんが事前に決めてくれていて、その2泊3日が1年ネパールに行くつもりで日本を出た僕の唯一の予定でした。

 

 

次の朝、集合場所に向かうとラビさんと今回一緒に川を下ってもらうガイドのディネスさんが待っていました。

 

威風堂々とした雰囲気で第一印象は仕事熱心で厳しそうって思ってたけど、蓋を開けたらやんちゃで良く笑う酒癖は悪いけど面倒見の良いお兄さんです。

 

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ディネスさんはラフティングツアーショップのボスで、ラビさんから僕のネパール長期滞の話を聞いていて「しばらくウチにいても大丈夫だよ。」と言ってくれました。

地元の人と繋いでいただいて、本当にラビさん様様。

 

それにしても、なんてネパールには寛容な人が多いのでしょう。

見ず知らずの初対面の人に“しばらく居ても良いよ”ってなかなか言えないよね。

僕も多くの人から支えてもらった恩を次に引き継がないとなと今では思ってます。

 

そんなこんなで手配してもらった車で移動してさっそく今日の出発地へ。

移動中ディネスさんから今日行く川の説明をしてくれました。

 

今回、行く川の名前はボテコシとその支流のボリフィ。

リバーカヤッカーの間で、ネパールの川と言えば出てくるボテコシ上流 (以下アッパー)

 

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↑ボテコシアッパーの写真

 

ただ、僕はまだアッパーは無理なので、今回はその下流からの出発予定です。

 

ボテコシアッパーはレベルが高いって噂を聞いてたので下流からで安心した反面、最初が“頑張って練習してたのに行けなくて残念”って気持ちじゃないのにちょっとガッカリ。

そんな少しテンションが下がった僕を載せて車はまだまだ走ります。

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↑ネパールの山道 中央線は飾りです笑

 

今回は60キロの移動に3時間程かかりました。

やっぱり日本みたいには気軽に移動は難しいなー。

 

出発地点ではディネスさんとそのお店のスタッフも合流して6人で初日はボテコシ、翌日はボリフィーを下りました。

 

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まず、下る時に驚いたのは、流れの早さでした。

世界最高峰の山々の斜度を流れてくる水の勢いは、長良川で練習してた僕からすると全くの別物。

 

後は基本の水量も違います。

夏場は水量が爆上がりするネパールでも11月半ばでは水量そんな多くないです。

ただ、それでも規模が違うので、“これで水全然ないの!?”って結構びっくりしました。

 

後でハイウォーターのボテコシを見た時は確かに冬の水の少なさに納得できたけど、それでもやっぱり水量多いですね。

 

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↑どっちもボテコシ

 

そして、下ってる時に思ったのは、テクニカルさとその先の読めなさです。

普段、僕は道路から下見出来る川を下っていたので、こっちでは一回止まって下見するか、瞬間的にどう下るかを考えていないといけません。

 

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↑どっちもボテコシ

 

特にボリフィーは川幅が狭いので、水量の少ない時期は大きな岩があちこちに点在してその間を縫うように下ります。

なのでスピードに慣れてない僕は先を見ながら隙間を縫って下るのがやっとで楽しむ余裕はなかったですね。

 

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↑3つともボリフィー

 

それと、ネパールでは土砂崩れが多くコンクリートや、そこから顔出した鉄筋が見える場所もあるので、人工物がとにかく怖かったです。

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↑コンクリート&鉄筋。瀬の中にあるのはマジ怖い。

 

後はギアがかなり古いので、ネパール来る際はせめてパドルは慣れたものを持って来た方が良いと思います。

 

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↑右ので下る事になるよ。

 

2箇所のネパールの川を漕いで分かったのは、

日本で僕が行った長良川吉野川と北山川とは全然別物で、もっと自然そのままな荒々しさを感じました。

特にボリフィー中盤に出てくる岩岩岩って中を縫って行く場面は良い経験です。

 

それに当たり前だけど、まだまだ自分に伸びしろがある事でした。

これからこんな難しい所で練習を出来るのかと思うと、1年後に自分がどれくらい上手くなるのか楽しみで仕方ないです。

 

それに一緒にカヤックをした現地ガイドの子達は本当に上手で、俺も上手になってやる!てっ自分のやる気に薪を焚べられた2泊3日でした。

 

最初のダウンリバートリップが無事終わり、次はトゥリスリーと言われるビッグウェーブで有名な川のツアーショップをラビさんに紹介してもらいました。

 

しかも、そっちのショップもボスも“居ても良いよ。”と言ってくれてるみたい。

なので、明後日から早速一週間程お世話になります。

 

さて次回はどうなる事やら、また新たなタイプの川に挑戦していきます。

 

それではまた〜。

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カヤックを習いにネパールへ。

こんにちは。

南国ガイドです🏝

 

去年の春からリバーカヤックを始めて岐阜の長良川で練習してました。

人にも環境にも恵まれて暇さえあれば川にカヤック乗り行って、ひっくり返されて、ロール出来なくて泳いじゃって。

川でひっくり返ると上も下もわからない程グチャグチャに揉まれる事もあるんですけど、そんな状況で思い出した状況があって…

これから揉まれるところ。

 

子供の頃に海で波に体当たりするだけの簡単な遊びが好きで波に負けるとそのまま呑み込まれて水の中でグルングルンになるんです。

もうその状態が意味わからなくて、しかもそれが自分にはたまらなく面白くて、ブハーっと顔出した時に腹抱えて笑ってまた波に当たりに行ってたんです。

 

あの無邪気に楽しかった感覚が自分の中から湧き上がってくるのを感じて、水から顔出せた時に思わず笑っちゃってました。

その楽しさを持って好きなカヤックが出来る状況が面白くない訳なく、久しぶりにカヤックに対してやる気に満ち溢れてました。

 

暇さえあればカヤックしに行ってる。

そんな状態で4ヶ月位が過ぎた頃に同じ社宅で暮らしてたネパール人のおじさんのラビさんから「そんなにカヤック好きならネパールおいでよ。」と声をかけてもらいました。

なんでネパール?と思い話を詳しく聞いてみると、ネパールはエベレストや世界最高峰レベルの山々が有名で、その斜度が作り出す川も世界的に凄く有名なのだとか。

自分の腕を試しに世界中からカヤッカーが川を求めて来るような環境なんだそう。

 

そんなネパールの川の有名なアクティビティはラフティング!

過酷な環境で育てられたガイドの腕は世界で通用するそうだ。

実際、腕を買われて世界中の川に稼ぎに行くネパール人は多くいて、ネパールの賃金と比べると大金を稼ぐ事が出来るので憧れの職業の1つなんだそうだ。

僕に声をかけてくれたネパおじのラビさんもその経緯で日本でラフティングガイドをしている。

 

でも、それはカヤックじゃ無くてラフティングの話じゃないか。

と思って聞いていたらラビさんは話を続けて、

ネパールでラフティングガイドになる為に新人は最初にサポートカヤッカー(以下SK)と言われる役割から覚える。

この人達はカヤックに乗ってラフティングボートと一緒に行動しながらボートから落ちた人や物を回収してボートに届ける役で、ラフティングのガイドになりたい人はみんな通る道なんだそう。

 

ラビさん曰く知り合いのラフティングショップを紹介するから僕もそこでSKをやってカヤックの腕を磨くといいよとの事だった。

 

 

いきなり現れた選択肢ネパール。

いきなりでかなり衝撃的だったけど、今の生活を続けるよりはいい気がした。

今よりもっと難しい環境で周りの人たちのレベルも高いとなると求められる技術や経験はもっと上になる訳で、上手になるしかない場所で過ごせたらリバーカヤックのガイドもやりたい自分にとって最高な時間になるとしか思えない。

 

ひっくり返ってるの僕。

 

悟った瞬間。

 

即答で「ネパール行きます!」と言いかけた口が固まった。

 

 

そういえば、僕カナダ行く予定じゃなかったけ?

去年からその予定で沖縄を出て、冬にはワーホリのビザを取って春には行く予定で取ってたチケットが航空会社からキャンセルの連絡が来て全額戻された丁度その時に、リバーカヤックにハマってじゃあ夏終るまで川で過ごして冬からカナダ行こうと思ってたんじゃん。

 

しかも、シーカヤック発祥の地域を自分で感じたいから行こうと思ってシーカヤックのガイド仲間とか先輩とかに、その話をあちこちで言ってたら色んな人に応援して貰らえて友達たちからは防寒具でソレルのかっちょいいブーツまでもらっちゃってたじゃんか。

みんなからもらったブーツ。



そんな色々夢語りまくって、応援してもらって気にかけてもらってるのに今更変えるとかはダメだ。恥ずかしすぎる。

そもそも海に最近全然行ってないし、またここはいっちょやる気出して自分で言ったシーカヤックに専念するか!!

 

 

 

 

そして1ヶ月後、僕はネパール行きの飛行機に乗ってた。

座り疲れでボーとする頭で、窓からプカプカと雲の浮かぶ快晴な青空とそれを遮る飛行機の羽を眺めていると急に眠気がぶっ飛んだ。

遠くに雲よりも高くに顔を出してる山々の頂が見える。

 

山見える?

 

これか!噂の山達は。

僕はここから流れ出た川を漕いで、さらにSKというサポート役までする余裕もないといけないのか!と思うと今の自分には無理だなと思えて急に緊張してきた。

着く前から想像の何倍もの激流が待っているんだろうなと実感させてくれる風景に度肝を抜かれて、僕はやっぱりカナダにすればよかったかなと少し後悔したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

そう言えば南国出ちゃいました。

 



こんにちは。

ども 南国ガイドです。

全然更新もしてないので、誰に向けての発信なのかも良くわかりませんが。

この所の近況報告と今後の予定を書きます。

 

 

僕、南国ガイドは15歳で実家を出て、18歳からは沖縄にある小さな島でシーカヤックをしながらアウトドアガイドとして生活していました。

それが気がつけば、一昨年の年末くらいに島を出て岐阜に引っ越していました。

もうあれです。この時点で南国要素なくなりました。どうも本州ガイドです。

 

なんで岐阜に行ったかと言うと長良川リバーカヤックをやってみたかったんですね。

知らない人からすれば シーカヤックリバーカヤックも一緒じゃね。

って思われるんですが、これがまあ違うんですよ。

どんな違いかって言われたら、

乗り物からして違うし、装備も変わってくるんですよ。

一番何が違うって、海と川の違いですよ。

鶏肉だけどモモ肉とムネ肉みたいな違いです。

 

 



 

去年はひたすらリバーカヤックに打ち込んでいました。

仕事はキャンプ場のスタッフだったので、ここではただの趣味として。

もうガイドの面影はこの頃には完全になくなりました。このままじゃ本州です。

 

 

 

 

その頃、社宅に一緒に住んでいたネパール人のおじさんが僕に一言。

「そんなカヤック好きなら、ネパールくる?」

え?何故?

脈絡のなさに一瞬戸惑ったんですが、聞いてみるとネパールって山だけじゃなくて、川も有名だったんですね。

世界中のリバーカヤッカーが自分の腕を試しにネパールに訪れるそうで。

でも考えてみれば、世界最高峰レベルの山々の斜度から流れてくる川のスピードはイカついんだろうなー。

おじさん曰く、ネパールで有名な川のアクティビティはラフティングでツアーにはサポートカヤック(通称SK)が付いて一緒に川を下るとの事。

「知り合いのラフティングショップを紹介するからそこでカヤックやったら良いよ。」

 

 

その1ヶ月後、気づけば僕はネパールにいました。

おじさんに紹介してもらった、ショップに転がり込んで、仕事を手伝う代わりに生活の面倒を見てもらう感じです。

仕事としては、ラフトボートから落ちた人や物を回収してボートまで届けるって感じです。

そんなカヤック三昧の毎日です。

 

 

 

こうやって書くと海外でも仕事出来るマンっぽく聞こえてカッコ良いのですが、

僕は英語もできないしましてやネパール語なんてもってのほか。

リバーカヤックもまだ初めて5ヶ月とかで全然自分の事で精一杯。

コミュニケーションから仕事の仕方。文化や生活感。そもそも日本ほど発展していない国なので不便な事はどうしても多いもので。

色々大変ながらに、ちょっとずつ勉強しました。

そんなこんなしてたらネパール来て6ヶ月経っちゃいました。

自分でもビックリ、意外とどうにかなってしまいました。

見ず知らずの外国人の面倒を見てくれた、ネパールの人の優しさと緩さに感謝です。

おかげさまでカヤックもだいぶ上手くなってきました。これからも精進します。

 



そして今はビザの関係で、2ヶ月ほど日本に帰ってきています。次は6月半〜末辺りでもう一度ネパールに行きます。

日本滞在中は、バイトしてお金を貯める毎日。

出稼ぎ外国人です。

 

以上近況報告でした。

細かい出来事はまたブログやインスタでぼちぼち更新して行きます。

 

 

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僕のこの先の予定。

遅くても3年後には自分のショップを日本で立ち上げる予定です。

内容はカヤック専門店。

リバーカヤック を中心に初めてカヤックをする人達向けのデイツアー、これから上手になりたい人向けのスクール。

初級、中級、上級者向けのダウンリバーをやりたいと思います。

 

カヤックの操船、バランスはリバーカヤックで学ぶ方が圧倒的にわかりやすいです。

そして間口は広く、興味を持っていただける方が増えたら嬉しい限りです。

 

ゆくゆくはシーカヤックのキャンプトリップもやれたらと思っています。

リバーカヤックで技術を磨いたら後は川に囚われず、色々な所に行けるのがカヤックの自由さで何処に行くかが面白さなので。

 

 

読んでいただきありがとうございます。

また、近況も含めながら改めて更新していこうと思います。

それでは また。

出稼ぎ外国人より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄本島一周 ラスト

沖縄本島のあまり開発が進んでない東側。

景色が良くて人目に付かない方がカヤックを乗るにはもってこいな環境です。

ただ西側はリゾート地とか岸沿いに続く道路、美海水族館の裏側、那覇空港の滑走路とかを見ながらカヤックしててもあんまり面白くないんですよね…

 

 

前回、東側を制覇して最北端の岬近くにある奥集落まで漕いだので残るは西側攻略。

ただ、観光地や都会近くで護岸工事でアスファルトで上陸できなくなっていたり、人の沢山来るビーチでキャンプをしてたら何を言われるかわかりません。

出会いや、出来事も特別なく。肩身の狭い数日を過ごした西側はざっくりどんな事があったのか書いていきますー。

 

観光地周りではジェットスキーやバナナボートが走ってるので気を使います。

イケイケなお兄さん達に怒られたら怖いので、見かけたら距離を開けて轢かれないように距離をあけて進みます。

そういう所の岸は有料ビーチになっている事もあるので、もちろん下手に上陸はしません。

そこはお客さんまでヤリラフィーみたいな人がいっぱいいるからです。

怖いです。

 

 

岬とか海の見える展望台からは時折、観光客に手を振ってもらえます。

西側は黙々と漕ぐだけで、早く帰りたい一心なので黙々と漕ぐだけであんまり楽しくありません。

そんな時に(オーイ)って感じでリアクションされても漕ガン無視です。気が散ります。

風と波が強い時、特に岬周りは岸壁に当たった波が戻ってきて、水面がうねる事が多いです。そんな場所はあまり長居したくありません。

そんな時に(おーい)ってしてもらうとやっぱりガン無視です。

 

 

ここならいいかな。と思って上陸してみてもリゾートホテル近くの浜はなかなか長居できそうな所がありません。

だからキャンプしても大丈夫そうな所を見つけても、テントがギリギリ張れる道路脇だったりします。頑張って寝てみても、街灯も無い中で光る信号はやけに眩しくて寝づらいです。

あんまり疲れも取れません。特に青信号が眩しかったですね。

 

 

上陸してから乾いた服を着たいので、普段は着替えをドライバックに入れてキャンプ道具と一緒にカヤックに積んでいます。ただ、キャンプ中は焚き火で飯を作るので、数日着れば燻されて臭も強くなります。

頭も塩でバサバサで日焼けで真っ黒、なんなら唇の皮が日焼けで破れて血が出てる時もあるので、そんな見た目で街中に行くと非常に周りの目が気になります。自分でわかっていてもショックです。

一度冷たいビールが飲みたくて居酒屋にちょろっとだけ行きました。

ヒソヒソ話す定員さん達がチラチラこっちを見て来る目線が痛かったです。その後ビール持って来てくれたときの接客のぎこちなさがさらに刺さりました。

今更ながら、観光地の飯屋は綺麗な格好で行く所でした。気をつけます。

田舎だとあんまり気にならなかったのに。なんでだろ。

 

 

そんな事もあり後半の数日は黙々と漕ぐことだけでした。

 

 

結局一周は無事終わり。

上陸して最初眺めた景色と同じ景色を見て僕が感じたのは、「あんま実感湧かね〜。」でした。

沖縄本島全体を詳しく知ってれば感じ方はもっと変わったんでしょうけど、初めて見る場所が多くて1周した感じがしない。

島が大きくてぐるっと周るに12日間。

その途中に来た台風で知り合いの家で2泊過ごして変なオフの時間を作ったのも今回あんまり実感がわかなかった理由かなーと思われます。

 

あとは僕個人としては、本島1周をやろうと思った動機は「相手を見返してやる。」って対抗心とか沖縄本島での生活にケリをつける熱量で動いていたんですけど、結局自分の興味や好奇心を原動力に置いてないと、なんにも面白くないし、もっと細かい所まで興味が湧くような旅にできないんだな。と今では思います。

でも、もうあの頃みたいに、感情と直感だけで突っ走った旅はもうできないのかなと思うと少しつまらなくなった気がする今日この頃です。

 





沖縄本島一周。9日目。最北端の集落で。

 

沖縄本島、最北端の海岸線に着いた時にはもう陽も傾いてきていた。

目の前に島の北端、辺戸岬が見えるが今日はその手前のビーチで1泊過ごすことにした。

僕が上陸した場所は沖縄本島では一番北部にある集落で、名前は奥集落。

 

 

とりあえず腹が減って仕方ないので寝床の準備もせずに、集落で飯屋を探すことにした。

古い沖縄の集落の風景が続く。

石垣に挟まれた小道を進むと飯屋があったが休業中の札が掛かっていた。

仕方がないので、近くの共同売店でビールでも買いつつ集落の情報を聞いてみることにした。

 

 

店の中では地元のラジオが流れ、レジにはおじさんがパイプ椅子にもたれて、ひとり新聞を読んでいる。

レジに商品を置くとチラっとこっちを見て無言で電卓を打って、終わるとこちらに液晶を見せてきた。

僕は小銭を財布から出しつつおじさんに飯屋情報を聞いてみた。

 

 

おじさんによると飯屋は2件あるらしい。

1軒は最初に見た休みの札が掛かかったお店で、もう1軒はだいぶ距離があるらしい。

「それじゃあ今日も自炊かな。」おじさんにお礼を言ってお店を出ようとしたら、1人のお兄さんがお店に入って来た。

 

 

売店の前でビールを飲んでいると、買い物を終えたさっきのお兄さんが「兄ちゃんどこから来た?」と声をかけてくれた。

ここの地域は観光客もあまり来ないようで、1人でフラフラしている若者は珍しかったようだ。

奥集落に若い人はあまり住んで無いそうで、通りかかった人は次々と声をかけてくれる。

なんなら一緒ビールを飲み始める人もいて、気がつくと6〜7人の輪ができてた。

カヤックで島を周っていると話をするとみんな面白がって聞いてくれた。

 

 

みんな優しい人たちばかりで「今日はどこに泊まるんだ」と聞かれてキャンプをすると言うと、色々と泊まっていい場所を教えてくれた。

「なんなら私と一緒に寝るかい?」と冗談を言うオバーもいた。

 

 

そんな中、1人のオジイが「明日、那覇に行くから車の荷台にカヤック乗っけて送ってやろうか」と言ってくれる人もいた。

 

次第に暗くなってきたら、チラホラと解散ムードになったので僕も来た道を戻り始めた。

 

帰り際、休みの札のかかった飯屋に人が出入りしているのが見えたので、お店の戸を叩いてみるとママが出てくれた。

 

「ご飯食べれますか」と聞いてみると「入ってー」と快く通してもらった。

 

中央の席に60代の常連さんが飲んでいる。

ママは「唐揚げならできるわよ。」と言うと準備を始めてくれた。

カウンターで飯を待ちながらビールを飲んでいると、常連さん達に一緒にカラオケしないかと声をかけてもらい、同じテーブルに入れてもらった。

 

席について、自己紹介とカヤックの旅の話をして口々に「若いのは時間あっていいな」「あちこちに女作ってるんだろ。羨ましいな。」「他にやることないのか」とわざわざなんで疲れる事をして移動しているのか分からないといった反応であった。

 

「明日那覇に行くから軽トラにカヤックのせて連れて行ってやろうか?」と言ってくれた人がいたのでやっぱりよくわかってもらえてなかった。

 

常連さん達は順番に演歌を歌っていて、カラオケ1人100円と書かれた箱がテーブルに置いてあるが、中は空だった。

マイクが僕に周って来て「今時のを歌ってくれ」とリクエストがあったので僕はブルーハーツを歌った。

誰も知らなかったので、今時の曲になったみたいだ。

 

ジョッキがカラになって、ビールのお代わりをもらいにカウンターに行くとちょうど唐揚げも出来上がった。ママに「唐揚げオマケしといたからしっかり食べなさい」と大盛りご飯と一緒に出してもらった。

いつもの簡素な飯に少し飽きていたのもあり、熱々のご飯と唐揚げはあっという間に僕の胃袋に消えて行き、キンキンのビールに手をつけるとあっという間に満たされた。

 

仕事が終わったママに僕は地域の事を聞いてみた。

意外とお店はまだ出来たばかりのようで、オープンしたのは2、3年前との事、カラオケは最近設置したばかりで、今回は常連さんとカラオケのお披露目会だったそうだ。

僕はタイミングのいい時に来たそうで、本当なら定休日だといっていた。

 

奥集落ではお茶が有名で奥茶というブランドで沖縄では有名なのだとか、常連さんの1人はその奥茶農園の社長さんで、仕事が結構忙しくて、働き手を探していて「お前暇なら働かないか」と社長さんは言ってくれたが、海況がいい日が続くので、「本島一周が終わってそれでも忙しければ手伝わせてほしい」と伝えると、名刺を渡してくれた。一周後に連絡してみたが、もう人手が足りてしまっていた。残念。

 

「そういえば、今日はどこに泊まるの?」とママに聞かれてテント泊と伝えると、それなら「お店の庭で泊まりなさい」

と言ってくれた。シャワーやコンセントも使っていいから、と至れり尽くせり状態であった。

 

テントも張り終わったので、お店に戻りお礼を言うと、ママに「私からのサービスでいいわよ」とおもむろに僕の空いてるジョッキにワインを並々に注いでもらった。

僕は奥集落の洗礼を受けた。

今更だが、ママと呼ぶのは常連さんたちがそう呼んでいるからだ、お店的には軽食屋となっていて、カラオケをしてお店の女性と飲んでいたら、それはほぼスナックだ。

 

唯一、違うのはみんな昔からの知り合いなので、お客さんとママという感じより、もっと距離が近いというところだ。

お酒も進み夜も更けて常連さんたちは、ママの若い頃の話や、自分らの若かった頃のことを話してくれた。

すると隣の席のおじさんが「君は若いからこれからいろんなことがあるんだろうね」と何か思い出すように語ってくれた。

「これから先辛いことや悲しいことがあると思うけど、どうしても全てが嫌になったらここにまた来たらいいよ」

そう言っておじさんは残りの島酒を飲み干すと家に帰って言った。

 

ママも家に帰るそうで、あとは自由に使ってとお店には僕1人になった。

1週間ぶりの暖かいシャワーで体の塩を落とすと気持ちの良いまま眠りにつけた。  

 

寝る直前におじさんの言葉が沁みてきて、胸が熱くなった。奥集落についてからというもの、人に優しくされる場面が多くて、少し戸惑っていた。

初対面の他人に何故そこまで優しく接する事が出来るのか、僕には分からない。

ただ、奥集落に行って以来、僕は自分の住んでいる所に来た人には優しく接しようと思っている。

 

                                                    

沖縄本島一周。8日目。

 

沖縄本島の東側。嘉陽の浜で朝を迎えた。

目がさめてフルメッシュのテントの中から辺りを見回そうと頭を少し持ち上げる。

海の方を見れば水平線の先からぼんやりと空が白んできているのが見えた。

まだ起きるには少し早いかと思い頭を地につける。

僕の真上はまだ星がちらついて夜のようだ。

海の向こうからは朝が近づいてきている。

 

 

 

東海岸の朝は気持ちが良くて好きだ。

早く起きれた時は陽が昇るのを見る楽しみがあって、寝過ごしても徐々に日が差してくれば自然と目が覚める。

どうしても眠くて起きる気になれない時は強烈な日差しでジリジリと焼いてくれるので、怠けがちな僕も起きるしかなくなる。

今日は風も気持ちよくテントの中を通るので、もう少しだけウトウトしようかと思っていたが、天気も良く特に景色も綺麗な場所にいるので僕は浜辺を散歩することにした。

 

 

 

嘉陽の浜は長く歩けるので散歩にはもってこいだ。

徐々に明るくなる空に連れて睡魔をまとって鈍い体も頭も覚めてきている。

アクビと共に伸びをしたら、岩場を登って静かな朝の景色を眺めた。

そろそろ水平線に陽を拝めそうだ。

 

 

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満足したらテントに戻って、前に買っておいた菓子パンを食べて海に出た。

 

 

 

 

 

 

 

北東側の海岸は岩肌が荒々しく剥き出しになっている所が多く、人の手があまり入っていない迫力のある景色が続いている。

カヤックのスピードに合わせて徐々に流れる景色を見るのも海上での楽しみの1つだ。

 

この日見た景色は今回の旅でも特に印象的だったのを覚えている。

場所は天仁屋岬。

水の透き通る綺麗な場所に荒々しく削られた岩が突き出ている。

浅瀬は穏やかだが深場は外洋のウネリが岩に打ち付けては砕けていた。

今回の旅で迫力のある場所の1つだった。

 

 

 

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天仁屋岬を越えてしばらく湾内を進む。

陽も頭の真上近くまで登ってきていて気がつくと腹が減ってきた。

普段の昼飯はドライフルーツとナッツが一緒に入った乾き物を食べて海の上ですませている。

意外と体を動かしているからか腹は減らないもので、更に日差しと海面から上がってくる熱気にやられて昼間は食欲が湧かない。

だけどこの日はやけに腹が減ってどうしようもなかったので、どこかで休憩することにして歩を進める。

しばらくすると魚港が見えてきたので、隣の浜に上陸した。

 

漁港=集落。

 

「人が住んでいるなら商店が有るはずだ。」と思い近くを散策しながら店を探すつもりで飲み物やカメラなどの荷物を持った。

南国の7月。強い日差しの中、アスファルトの上を彷徨うのはしんどそうだが、減った腹には耐えられない。

田舎だとどのくらい歩けば商店があるかもわからない。先は長そうだ。

それでも「飯のために頑張るか!」と意気込み、浜に引き揚げたカヤックを離れた。

焼けた砂浜の傾斜を登ると正面に商店が鎮座していた。

散策用の荷物を置きに一度カヤックに戻って財布を片手に商店に向かった。

 

 

 

 

扉を開けると、お昼時の商店は地元の人達で賑わっている。

1つしかない商店のレジ前では子供を連れた奥様方が弁当を手に他のお客と話している。

僕も残り少ない弁当の乗ったワゴンの中からオニギリとカップラーメンを持って列の最後尾に並んだ。

前の人達からは他愛のない世間話が聞こえてくる。

昼間の商店は地元の交流場所と化していた。

 

最近は極端に1人で海にいる時間が増えて普段の生活とは違う数日が続いている。

日中は気を張っている場面が多く、人との交流も減った。

だけど今日は商店という場所の些細な日常の風景に当てられて、普段の生活感が自分の中に戻ってきた。

そのせいか気持ちが緩んでしまった。

 

 

 

 

商店を出て脇の木陰で昼飯をガッツいたがまだ物足りない。

仕方ないのでアイスとチョコレートも食べたら緩んだ気持ちに眠気と疲れが足されて海に出るのが面倒になってきた。

 

少し休憩をしてから出発する事にしたが、緩んだ気持ちがなかなか引き締まらなくてそのまま今日は一泊したい位だった。

ただ、野営をするには不向きな場所だったので、渋々海に出るしかなかった。

 

 

 

 

 

集中力もなく漕ぐことが億劫だ。

風も一周を始めてからずっと向かい風が続いていて気持ちを削っていく。

更に漕ぐ度に脇腹が痛むようになってから、痛みが日に日に増してきていて、パドリングする度に肋骨の内側が軋むような鈍い痛みが楽しさを半減させていた。

 

気持ちが萎えてくると一気にカヤックは進まなくなってしまう。

そうなると前に進まない事に気分が落ちて、負のループから抜け出すのが難しくなってくる。

ズルズルとカヤックを漕ぎ続けるのも微妙なので今日は適当な所で上陸しようと思っているのに、「隣の方がいいビーチかも。」と期待して進んでいる間に気づけば夕方になってしまった。

 

 

 

時間もないので「次の岸で強制上陸。」と誓いカヤックを漕いでいると、超えた岬の脇に小さなビーチがあった。

あそこだったら通り過ぎたビーチの方が良かったなと少しガッカリしたが、もうそんな事は言っていられる程の時間も無いので一泊過ごす事に決定した。

上陸しようと近づくと小さなウネリが岬にぶつかって跳ね返り他のウネリにぶつかって岸周りは水がグチャグチャとしている。

浜も砂ではなく、お手玉サイズの丸っこい石で埋め尽くされていてカヤックを上陸させずらい。

 

 

 

 

僕の乗っているカヤックの素材はFRPやポリエチレン製ではなく布やゴムに近い質感なため、すり傷や切り傷にとても弱く、石の上を引きずって岸に揚げたくなかった。

持ち上げて上陸させたいが、荷物一式が入っているカヤックを1人で持ち上げるのは無理だ。

結局、なるべく穏やかそうな所で波に邪魔されながら急いで荷物を降ろしてカヤックを持ち上げて上陸させた。

バタバタとしてる勢いでそのままテントを張って飯の支度をしている間に気づけば辺りは薄暗くなっていた。

 

 

 

朝はあんなに気分良く出発したが午後からは疲れた1日だった。

 

 

 

 

無人の小さな浜で1人、焚き火を囲みながら持っていた日本酒を呑みその日を終えるのであった。

 

 

 

 

明日には本島最北端の辺戸岬に着けるだろう。

気がつけばこの旅ももう半分近くすぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄本島一周。7日目。

台風が通り過ぎるまで知人の古民家に3泊させてもらった。

元々クーラーもなかった家なので戸を締め切った家の中は尋常じゃなく蒸し暑い。

する事もないので、畳の上に寝そべってひたすら時間を潰した。

 

うたた寝から起きると寝汗で体がベタベタして気持ちが悪い。

いつの間にか停電してしまったようで扇風機が止まっていた。

携帯の充電も切れて更に暇になってしまった。

明かりも点かない部屋は暗く、雨戸の隙間から漏れる光で昼間か夜かがわかる。

それ以降もただ時間が過ぎるのを待っていた。

 

3日目の朝には風の吹く音が弱まってきたので戸を開いた。

一気に部屋の中が明るくなって風が吹き込んでくる。これでだいぶ過ごしやすくなった。

台風対策で家に仕舞った物を外に元通りにして気持ちも入れ替える。

これでまた海に出れる。

天気も台風が来たのは嘘の様に晴れ晴れとしていた。

 

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風や波が落ちついてきたタイミングで、前回上陸した浜にカヤックを下ろして荷物を詰める。

この日は浜比嘉島から嘉陽集落までを目指していた。

最短ルートで行ければ大体40キロ程度だ。

天気は相変わらずの向かい風。

今日も頑張ろう。

 

 

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漕ぎ出して最初は海中道路と言われる橋でつながった島沿いを進んでいく。

本島中部の東側に3つの島が平安座島。宮城島。伊計島。の順で並んでいる。

 

ちなみに僕が出発した浜比嘉島平安座島と1キロ程の橋で繋がっているが、これは海中道路が出来た当初は繋がっておらず。船で島渡しをしていた。

帰りが遅くなって渡し船がない時は、泳いで島に帰る人もいたそうだ。

僕だったら暗い時間帯の海を泳いで家に帰る気にはなれない。

 

中には泳いで帰るのが大変なので、舟を探していた時にカヤックの存在を知った人もいた。

それからは渡し船が無くてもカヤックで島を渡って帰路に着いていたという。

今では沖縄のリゾートアクティビティで有名なカヌーやカヤックが沖縄に入ってきた最初はそんな形で乗っている人がいたのかと思うと今とのギャップに笑えてくる。

 

話が逸れたが、浜比嘉島から僕は平安座島と宮城島の間を通って金武湾という大きな湾の中に出た。

伊計島沿いから湾の外側を周ってしまうと潮の流れがとても強く、実際にも船の事故が多いそうだ。地元の漁師の話を聞くとかなり警戒されてる場所なのがわかる。

なので僕は宮城島と平安座島の間の水路を抜けて金武湾内を進む事にした。

湾内は大きな貨物船なんかも頻繁に通っているので、船に轢かれないように航路は一気に渡たった。

 

対岸に近づいてきた時に目の前でウミガメが息をしに水面から顔を出した。

僕には全く気づいてない様で、真横を通っていても微動だにしない。

普段はこちらに気がつくとすぐに逃げてしまうのにな。と不思議に思って見ていると、亀の顔を見たときにゾワ〜と寒気がした。

目元はヤニの様な汚れでビッシリ覆われていて全く目が見えてなさそうだ。

甲羅にも黄色い膜が張っていてそれが陽の光を反射してテラテラとしている。

見た目に素直に汚いと思って引いてしまった。

ただ、自分の生活から出た汚れでそうなってしまったのかと思うと自分が引いた事に罪悪感も出てきた。

 

自分は生活排水の混ざっている汚い川では泳がないし、魚やエビが取れたとしても食べたくない。

この亀がいた場所は人の生活しているすぐ近くだ。海も綺麗とはいえなかった。

そんな所で暮らしていると、この亀の様になってしまうのだろうか。

それともただの老いだったのだろうか。

僕の生活も関係しているならやっぱり可哀想というのは他人事すぎる。

だけど、だからといって僕は普段の生活を手放したくない。

結局、普段の生活であまりゴミや生活排水を出さないように気にする事しか僕にはできない。

そんなことを思っていると亀は息継ぎを終えてまた海の中に消えていった。

亀を見送り自分の中にモヤモヤとした気持ちを残しながら先を目指した。

 

しばらく岸沿いに進んでいると突然、水面にロープで境界線を引かれているところがあった。しかもロープはずっと先まで続いている。

何かなと思って地図を見たらここは辺野古だった。

基地建設で埋め立て工事が行われている真っ最中で工事をする区画の境界線だった。

ここがそうなんだと思いながら境界線ギリギリを進んでみる。

 

境界線の近くには内側も外側にも漁船が回遊している。

赤く警戒船と描かれた旗を掲げて、何人かの男たちがこちらを見ていた。

前に車で建設予定地を通った時は座り込みの人達が看板を持って列を作っているのを見たことがある。

その時感じた雑踏や喧噪としているイメージとは打って変わって、海側から見る辺野古は淡々と工事が進められている。

 

元々、街の中にある米軍基地の騒音問題や米兵による地元民とのトラブル、事故があった時に被害が出やすいという理由で人口の少ない所に引っ越す計画で辺野古が選ばれた。

そこで生まれ育った人達からすれば自分の故郷を潰される思いで辛い思いをしている。

僕は辺野古基地は地元民の反対運動のイメージが大きかった。

なのだけど、僕は自分の地元にあまり住んだ事が無く、しかもベットタウンで常に変化している場所に故郷という思い入れがあまりない。だからか、反対運動の目線でしか見れてない辺野古基地にあまり関心がなかった。

 

ただ、海から基地の建設現場を見たときに規模の大きさに驚いた。

こんな広い部分を埋立地に出来るんだと。

埋め立て予定地は長崎にあるハウステンボスと同じくらいの広さみたいだ。

僕はあまりピンときていないが、行ったことがある人は想像してみて欲しい。

進めど進めど区画は続いて行く。そんな広さの場所を、基地を引っ越すと決めたら埋め立てて新しい基地にしてしまう事に度肝を抜かれた。

途中に見えた大量の土砂を運ぶ船やクレーンを積んだ船の数々。その大きさを見たときに圧倒されるものがあった。

人が出来る予想外のスケールの大きさに、ただただ呆気に取られることしか出来なかった。

 

基地が作られて静かな海辺が消えてしまうのはやはりさみしい。

一体どんな浜だったのだろうか。

そう思うと埋め立ててしまうのは、とても残念で仕方ない。

 

 

 

 

区画を抜けたら、目的地の嘉陽集落が見えてきた。

陽は島の反対側に沈み始めて昼間のような日差しはもうない。

砂浜が続く岸沿いを進んであまり目立たない所に上陸した。

 

 

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カヤックをあげてテントを張っていると、散歩で浜に降りてきたおじさんに声をかけられた。

「君はこれで来たのか?」

おじさんの指はカヤックを指していた。

僕はおじさんの質問に頷いて、その後もしばらくおじさんと立ち話をしていた。

浜比嘉島から漕いで来た。」と言うとおじさんは驚いた顔をして※「はっさびよ〜」とだけ呟いてカヤックをまじまじ見ていた。

海辺の集落では、船に興味を持ってくれる人が多い。

海にいた人や船乗りだった人が自分の若い頃や海に馳せた感覚を思い出すのか声をかけてくれる。

そんな地元のおじさんと、たまたま立ち寄った僕が同じ浜で会話をする。

昔からこの浜の景色を見ている人の話を聞いて、一晩過ごすだけのその場所が一気に近く感じる感覚がある。それがとてもおもしろい。

 

僕が話を聞いておもしろいと感じている時おじさんは何を思っているのだろうか。

僕もおじさんになればわかるのかな。

 

台風明けの焼けた空も徐々に淡く焼けた色から深い紺色になり始めていた。

おじさんと別れて1人酒を飲みながら1日の終わりを感じていた。

 

 

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※はっさびよー 驚いた時に出る沖縄の方言。