沖縄本島一周。7日目。
台風が通り過ぎるまで知人の古民家に3泊させてもらった。
元々クーラーもなかった家なので戸を締め切った家の中は尋常じゃなく蒸し暑い。
する事もないので、畳の上に寝そべってひたすら時間を潰した。
うたた寝から起きると寝汗で体がベタベタして気持ちが悪い。
いつの間にか停電してしまったようで扇風機が止まっていた。
携帯の充電も切れて更に暇になってしまった。
明かりも点かない部屋は暗く、雨戸の隙間から漏れる光で昼間か夜かがわかる。
それ以降もただ時間が過ぎるのを待っていた。
3日目の朝には風の吹く音が弱まってきたので戸を開いた。
一気に部屋の中が明るくなって風が吹き込んでくる。これでだいぶ過ごしやすくなった。
台風対策で家に仕舞った物を外に元通りにして気持ちも入れ替える。
これでまた海に出れる。
天気も台風が来たのは嘘の様に晴れ晴れとしていた。
風や波が落ちついてきたタイミングで、前回上陸した浜にカヤックを下ろして荷物を詰める。
この日は浜比嘉島から嘉陽集落までを目指していた。
最短ルートで行ければ大体40キロ程度だ。
天気は相変わらずの向かい風。
今日も頑張ろう。
漕ぎ出して最初は海中道路と言われる橋でつながった島沿いを進んでいく。
本島中部の東側に3つの島が平安座島。宮城島。伊計島。の順で並んでいる。
ちなみに僕が出発した浜比嘉島は平安座島と1キロ程の橋で繋がっているが、これは海中道路が出来た当初は繋がっておらず。船で島渡しをしていた。
帰りが遅くなって渡し船がない時は、泳いで島に帰る人もいたそうだ。
僕だったら暗い時間帯の海を泳いで家に帰る気にはなれない。
中には泳いで帰るのが大変なので、舟を探していた時にカヤックの存在を知った人もいた。
それからは渡し船が無くてもカヤックで島を渡って帰路に着いていたという。
今では沖縄のリゾートアクティビティで有名なカヌーやカヤックが沖縄に入ってきた最初はそんな形で乗っている人がいたのかと思うと今とのギャップに笑えてくる。
話が逸れたが、浜比嘉島から僕は平安座島と宮城島の間を通って金武湾という大きな湾の中に出た。
伊計島沿いから湾の外側を周ってしまうと潮の流れがとても強く、実際にも船の事故が多いそうだ。地元の漁師の話を聞くとかなり警戒されてる場所なのがわかる。
なので僕は宮城島と平安座島の間の水路を抜けて金武湾内を進む事にした。
湾内は大きな貨物船なんかも頻繁に通っているので、船に轢かれないように航路は一気に渡たった。
対岸に近づいてきた時に目の前でウミガメが息をしに水面から顔を出した。
僕には全く気づいてない様で、真横を通っていても微動だにしない。
普段はこちらに気がつくとすぐに逃げてしまうのにな。と不思議に思って見ていると、亀の顔を見たときにゾワ〜と寒気がした。
目元はヤニの様な汚れでビッシリ覆われていて全く目が見えてなさそうだ。
甲羅にも黄色い膜が張っていてそれが陽の光を反射してテラテラとしている。
見た目に素直に汚いと思って引いてしまった。
ただ、自分の生活から出た汚れでそうなってしまったのかと思うと自分が引いた事に罪悪感も出てきた。
自分は生活排水の混ざっている汚い川では泳がないし、魚やエビが取れたとしても食べたくない。
この亀がいた場所は人の生活しているすぐ近くだ。海も綺麗とはいえなかった。
そんな所で暮らしていると、この亀の様になってしまうのだろうか。
それともただの老いだったのだろうか。
僕の生活も関係しているならやっぱり可哀想というのは他人事すぎる。
だけど、だからといって僕は普段の生活を手放したくない。
結局、普段の生活であまりゴミや生活排水を出さないように気にする事しか僕にはできない。
そんなことを思っていると亀は息継ぎを終えてまた海の中に消えていった。
亀を見送り自分の中にモヤモヤとした気持ちを残しながら先を目指した。
しばらく岸沿いに進んでいると突然、水面にロープで境界線を引かれているところがあった。しかもロープはずっと先まで続いている。
何かなと思って地図を見たらここは辺野古だった。
基地建設で埋め立て工事が行われている真っ最中で工事をする区画の境界線だった。
ここがそうなんだと思いながら境界線ギリギリを進んでみる。
境界線の近くには内側も外側にも漁船が回遊している。
赤く警戒船と描かれた旗を掲げて、何人かの男たちがこちらを見ていた。
前に車で建設予定地を通った時は座り込みの人達が看板を持って列を作っているのを見たことがある。
その時感じた雑踏や喧噪としているイメージとは打って変わって、海側から見る辺野古は淡々と工事が進められている。
元々、街の中にある米軍基地の騒音問題や米兵による地元民とのトラブル、事故があった時に被害が出やすいという理由で人口の少ない所に引っ越す計画で辺野古が選ばれた。
そこで生まれ育った人達からすれば自分の故郷を潰される思いで辛い思いをしている。
僕は辺野古基地は地元民の反対運動のイメージが大きかった。
なのだけど、僕は自分の地元にあまり住んだ事が無く、しかもベットタウンで常に変化している場所に故郷という思い入れがあまりない。だからか、反対運動の目線でしか見れてない辺野古基地にあまり関心がなかった。
ただ、海から基地の建設現場を見たときに規模の大きさに驚いた。
こんな広い部分を埋立地に出来るんだと。
埋め立て予定地は長崎にあるハウステンボスと同じくらいの広さみたいだ。
僕はあまりピンときていないが、行ったことがある人は想像してみて欲しい。
進めど進めど区画は続いて行く。そんな広さの場所を、基地を引っ越すと決めたら埋め立てて新しい基地にしてしまう事に度肝を抜かれた。
途中に見えた大量の土砂を運ぶ船やクレーンを積んだ船の数々。その大きさを見たときに圧倒されるものがあった。
人が出来る予想外のスケールの大きさに、ただただ呆気に取られることしか出来なかった。
基地が作られて静かな海辺が消えてしまうのはやはりさみしい。
一体どんな浜だったのだろうか。
そう思うと埋め立ててしまうのは、とても残念で仕方ない。
区画を抜けたら、目的地の嘉陽集落が見えてきた。
陽は島の反対側に沈み始めて昼間のような日差しはもうない。
砂浜が続く岸沿いを進んであまり目立たない所に上陸した。
カヤックをあげてテントを張っていると、散歩で浜に降りてきたおじさんに声をかけられた。
「君はこれで来たのか?」
おじさんの指はカヤックを指していた。
僕はおじさんの質問に頷いて、その後もしばらくおじさんと立ち話をしていた。
「浜比嘉島から漕いで来た。」と言うとおじさんは驚いた顔をして※「はっさびよ〜」とだけ呟いてカヤックをまじまじ見ていた。
海辺の集落では、船に興味を持ってくれる人が多い。
海にいた人や船乗りだった人が自分の若い頃や海に馳せた感覚を思い出すのか声をかけてくれる。
そんな地元のおじさんと、たまたま立ち寄った僕が同じ浜で会話をする。
昔からこの浜の景色を見ている人の話を聞いて、一晩過ごすだけのその場所が一気に近く感じる感覚がある。それがとてもおもしろい。
僕が話を聞いておもしろいと感じている時おじさんは何を思っているのだろうか。
僕もおじさんになればわかるのかな。
台風明けの焼けた空も徐々に淡く焼けた色から深い紺色になり始めていた。
おじさんと別れて1人酒を飲みながら1日の終わりを感じていた。
※はっさびよー 驚いた時に出る沖縄の方言。