6日目の蝉
今年も夏が終わろうとしている。
重そうに入道雲が浮かび近くに感じた空も、今では力なくかすれた雲が模様の様に青さに張り付いて、空がやけに遠く感じる。蒸し暑かった夜も、過ごすには気持ちのいい時期なってきた。
遠慮なく肌を焼く日差しや鬱陶しい暑さが今では恋しい。
熱帯夜に友達とのむさ苦しい飲み会もいい思い出だ。海や川で遊んだり、一夏の色恋があったりと周りの人にも活気を感じられる。
今では人の活気も夏ほどではなくなり、外ではあんなに鳴いていた蝉の騒がしさも落ち着いてきている。
あんなに活発だった蝉は夏を具現化した様な生き物だ。
テンション。アドレナリン。体からあふれる熱の様な活力そのものを蝉は全力でやりきって夏の終わりとともに儚く散るのだ。
なんて潔い生き物なんだろうか。
とても興味が湧いたので、調べてみる事にした。
今回はみなさんにもそれを共有しようと思う。
調べてみて驚いたが、蝉は世界に約3000種類もいるらしい。そんなに数が多いとは驚きだ。
そもそも、蝉の寿命を知っているだろうか。地上に出てからは短命なのは有名な話だが、全体を通して幼虫から成虫になるまで3年から長いと17年と土の中で生活して地上に出るらしいのだ。
そんな時間をかけて地上に出てきた蝉は蛹になって、あの蝉の形になる。
羽化したての蝉は全体的にまだ体が出来上がっておらず透き通っていて色も綺麗だ。
生まれたばかりのかわいい様子を天使みたいと比喩することがあるが、そういう部分で言えば蛹から出たばかりの蝉は無垢で白っぽくて羽も生えているので天使に近い。
天使と言えば、友達の堀井くんが、少し前に天使を見つけたと言っていた。
なんでも海でカヌーをしていた時に、ダイビング船に乗っているのを見たらしい。
日焼けして真っ黒な天使だったそうだ。
堀井くんは27年の人生で初めての一目惚で、人生で初めての感覚に自分でもでびっくりしたそうだ。
一目惚れはどんな感じだったか聞いてみると「天使が眩しすぎて直視できなかった。」そう鼻息を荒く話す、やけにテンションが上がっている堀井くんを見て僕は夏を感じていた。
17年土の中にいて初めて地上に出てきた蝉も外の世界の眩しさにびっくりした事だろう。
地上に出てきた蝉は、うざったいほどの音で鳴き続ける。これは求愛でオスだけが鳴く。
鳴くと言っても声帯からではなくお腹の部分にある筋肉を動かして発音機の役目をしている膜を動かして音を出す。
それの鳴き声や時間帯が種類によって違い、ミンミンゼミは主に午前中。アブラゼミは午後から夕方。ヒグラシは早朝と夕方。
そんなふうに種類によっても生態に違いがあるそうだ。
それにしても夏の風物詩と言えるあの爆音をあんな小さい体から出すなんて驚きだ。
あんなにうるさいと思ったのに鳴声を聞かなくなるとなんかさみしく感じてしまうのは僕だけだろうか。
そう言えば堀井くんも一時期、同じ事ばかりを言っていた時期があった。
口を開けば「天使やー」や「付き合いたい」とばかり言っていた。
夜の時間は特に堀井くんの声量も大きくなって、飲み会の時はずっと「天使!天使!」と言っていて最初は面白かったが、途中からは聞き飽きてうるさかった。
それも気がつけば、最近は耳にすることがなくなっている。
なぜか、今では少しさみしい。
セミは自分が出す鳴き声でメスを惹きつける。メスはオスの鳴く声を頼りにオスを探し出す。そして、出会った二匹は子孫を残すために勤しむのだ。そこまで大胆不敵に鳴き続けられる蝉は本当にパワフルだ。
それでもその鳴き声のせいで天敵に見つかって食べられてしまうのも沢山いる。
逃げも隠れもせず、アピールを続けてやっとパートナーから見つけてもらう。
漢のなんと情熱的で純愛なアプローチの仕方だろうか。
そしてメスはそんな熱烈なオスの鳴く声を聞いて一体何を思うのだろうか。
そう言えば、少し前に飲み会があった。
普段飲まない人たちの飲み会で、そこには堀井くんの天使の姿があった。
今回飲み会にいた人で天使と知り合いの人が堀井くんの「天使」発言を聞いて飲み会に呼んでくれたそうだ。堀井くんがずっと「天使!天使!」と言い続けてたアクションでついに堀井くんは天使と出会うことができた。
やはり自分のアピールを続ける事がこうやって出会いを作るんだと改めて気づかせてもらった。
ただ、堀井くんは緊張と爆上がりしたテンションで天使の横で饒舌に話し過ぎてしまった。
あまりにも隣でアピールされ過ぎた天使は堀井くんの誇張された話に「堀井くんは嘘つきや〜」と言い残し、堀井くんは天使に虚言癖の烙印を押されてしまった。
けたたましくアピールしてくる相手に対して求愛された者は何を思うのか。蝉の場合はわからないが、堀井くんの場合は「嘘つき。」と思われたそうだ。
蝉はあんなに一生懸命鳴き続けてもパートナーが出来ずにその一生に幕を下ろす者も結構多いようだ。
人間は悩んでどうでもいい事に気を取られて足踏みをして煮え切らない時間を過ごす時もある。色々と言い訳をして逃げているうちに時間だけが過ぎた事に気がついてまた気を落とす。
それに比べて蝉は常にストレート、一本の全力投球だ。
ブスだろうが。デブだろうが。人見知りだろうが。そんな事をくよくよしている時間がないのだ。
それでも蝉の童貞率は37%ほどらしい。それに比べて日本人は25%だと言うのだ。
蝉はあんなに頑張っても日本人より相手が見つかる可能性は低い。
それでもそんな事を気にしているより鳴き続けるしかないのだ。
そう言えば、堀井くんも前の飲み会でかなり空回りして吹かしまくっていたが、そんな事は気にせず、めげないでデートに誘ったらしい。
天使も快くお誘いにのってくれたそうで、2人でカヌーに乗って夕陽を眺めて月が上がってくるまでずっと海の上にいたそうだ。
「色々な話ができて楽しかった。」と嬉しそうに話す堀井くんを見て一度の失敗でくよくよしない男らしさを持つ堀井くんを少しカッコイイと思った。
行動を起こし続けるそれこそが、いかに重要な事なのか僕は思い知らされた。
そして、その後も何度かデートを重ねて遂に2人は付き合う事になった。
後で知ったが、堀井くんは付き合う前から天使に「一目惚れしてる。」や「天使だと思った。」などドンドンと相手にアピールし続けていたそうだ。
その隠さずストレートで全力投球な姿勢に漢らしさを感じて僕は堀井くんを少し尊敬した。
蝉もそのくらい男気の溢れる生き物なのだろう。
地上に出てきた蝉が短命なのは皆さんもご存知の通りだ。
1週間で死ぬ。なんて言うのは昔のイメージなだけで、環境さえ良ければもっと長生きだそうだ。じゃあなぜ、蝉が1週間で死ぬと言われるようになったのかというと、繊細で飼うのが難しいから捕まえるとすぐ死んでしまうという理由みたいだ。
そんな所だけ聞くと儚さだけが目立ってしまうが、人生の目的のために蝉は熱を注ぎ続けるのだ。その熱が儚さをさらに浮き彫りにするのだろう。
熱を持って今を全力で生きている蝉もパートナーが出来た時は浮かれたりするのだろうか。
付き合い始めた堀井くんは、とても幸せそうだった。
僕は友達の流星くんと2人で堀井くんの職場へ行った。こちらに気がついた堀井くんが「おお!」と僕らにかけた声量でわかった。普段の6倍はテンションが高い。
早々と僕らに、夜空の下で付き合う事が決まった時の甘ったるい話をする堀井くん。胸焼けしそうな空気に耐えられなくなった流星くんは「1ヶ月で別れるに1万。」と言い放った。コイツなかなかの大穴狙いだ。
その後も堀井くんは「2人で見た星空は一生忘れない。」と続けるので、僕は「2ヶ月で忘れる。」に1万ベットしておいた。
僕は内心「彼女イイなぁ」と指をくわえながら羨ましく思う事しかできなかった。
浮かれすぎてる堀井くんは本当に幸せそうで、2人の幸せは誰にも邪魔できないであろう。
この幸せの行き先は誰にも分からない。
ただ、1つわかる事とすれば、僕は本当に賭け事に弱いのだ。
蝉はやがて木に捕まる力すらなくなり地面に落ちる。
地面に落ちた蝉を触ると物凄い勢いで暴れてビックリするが、蝉ももう残り少ない命を削って抵抗する。もう木にすら捕まっていられないのに。
寿命も残りわずかになり地面に落ちた蝉は仰向けになっている。
体の構造上背中側が重いからだそうだ。
そんな蝉は最後は澄んだ青い空を眺める事なく、背中側にある目は地面を見つめている。
蝉の最後は大地に体を預けてゆっくりと死を受け入れているのだろうか、それとも動かなくなった体でまだ思いは空に馳せているのだろうか。
気がつけば蝉の声は少なくなり、そしてまた夏が終わっていく。
朝の柔らかい日差しの中、突然目が覚めた。
電話がなってる。
着信画面を見てみると堀井くんからだ。
出てみると開口一番に堀井くんは「あのなー 俺、フラれてしまった。」
と目が覚める話を始めた。
2人が付き合ったと聞いてまだ1週間も経ってない。
声に元気がない堀井くんの話を一通り聞いて僕は「近々、飲見ましょう」とだけ伝えて電話を切った。
それから、友達たちと堀井くんの家に集まった。
僕らは堀井くんを慰めるようにして、少しイジリながら話を聞いていた。
フラれた理由としては天使が「ダイビングの仕事に集中したいからだそうだ。」
2人の仲だから僕は詳しいことは分からないけど、付き合ってみたら違ったんだろうか。
色々話を聞いて「まあ元気出せよ。」とそれしかかける言葉がなかった。
天使と堀井くんは急激に近付いてそして一気に幕が下りた。
一夏の短く濃い出来事だ。あの熱や浮かれた事なんて本当一瞬で終わってしまう。
終わってからいつも夏に戻りたいと思う。それでも秋が来て憂鬱な冬がくる。
堀井くんはフラれる前日には何か違和感を感じていたそうだが気には留めていなかったのをひたすら悔いていた。
その後悔から、飲み会の終盤に「人生はちょっとだけ間に合わない。」とこぼしていた。
僕らは「名言が出た!」とゲラゲラ笑っていると堀井くんも一緒になって笑っていた。
ただ、その笑顔はどこか哀愁を感じる。
もうこの夏は終わったんだと、理解したけど受け止められない。
力無い6日目の蝉のように。