彼女の思い出。
「彼女ってどう作るの?」
飯を食ってる最中に、向かいの席に座る友達が唐突に質問投げかけてきた。
僕も長い事彼女がいない。
そんな僕に質問をするなんて、キリストに仏教を説いてもらう位的外れだ。
そう思って僕は無言で飯を食べ続けた。
それで察したのか友達もそれ以上聞いてこなくなり、飯を口に運ぶ時間だけが流れる。
「そもそも誰か気になる子いるの?」と僕は聞いてみると、「誰もいねーよ。」と返事をぶっきら棒に投げつけられたが、そうなんだよね。そもそも相手になる子がいないんだよね。
出会いの少ない田舎の島で、コミュニティも限られていて、コロナで仕事もなく、
新しく働きに島に来る人もいないので、僕も含め彼女のいない若者たちは盛りを持て余していた。
仕事もあまり無いので、島でボーと過ごしすぎては流石に良く無いと思い、
夏を迎えてツアーガイドの仕事が忙しくなる前に僕は1度地元に帰ることにした。
滅多に会えないガイドの大先輩と話をする機会を作ってもらい、地元の友達とも疎遠になる前に会えた。
滅多に出来ない都会の生活。たまにしか会えない人との会話。
同じ業種の先輩に喝を入れていただき、背筋がシャンとした感覚や年に1度会うかどうかの親や兄弟。
休みの期間は3週間しかないので、僕も回れる内にあちこちに行って会いたい人が沢山いたが、それでも限られた人にだけにしか会えなかった。それだけでもとても有意義な時間になった。
でも彼女は出来なかった。って言うか女の人と会う機会がなかった。
悶々としながら出会いがないかなと思って、出会い系サイトにも登録して有料アカウントにまでなったのになかなか会うまでの機会はなかった。
相手と連絡が続いても自称ヘソフェチでヘソの写真を送って気に入ったら会ってくれる。
とかいう一方的な審査を受けるために、ヘソの写真を撮って送った。
返事が来るまで想像して楽しんでた。
会えたら新しい世界が開けちゃうかもな。
ヘソ開発されちゃうかも。
とか知らない世界に興味津々だったが、写真を送ってから連絡が帰ってこなくなった。
値段交渉してくる女や連絡してても上から目線の奴も多く、お金払って何やってんだろ自分みたいなメンヘラ女子の様な心持ちになりながら、なんとか会う機会が出来ても手も出せずに悶々とする日々が続いていた。
島に暮らす若者にとって東京に行くのは一大イベントだ。
特に僕の住む島にはコンビニすらなく、もちろん娯楽施設なんてありえない。
唯一、あるカラオケもスナックに置いてあるやつなので、大勢の前で歌うのはシラフじゃ出来ない。
大都会は夜中でもピカピカ光るライトや人の多さ。見上げる程高いビルや鳴り止まない騒音。
久々の都会がストレスに感じたのか、それとも興奮しすぎていたのか
眠らない街東京で僕は眠れない日が続いていた。
それでも会う人や行きたい所を回っていたが、疲れも溜まって。
東京も飽きて来た頃にたまたま京都に行く事になった。
以前、1度ツアーに参加していただいた家族が、本州に帰ってきたら一緒に食事でもしようと
誘ってくれていたので、連絡してみたら是非合いましょうと話が決まって、僕は家族が住む京都に行く事になった。
そして迎えた当日、僕は教えてもらった場所につきチャイムを鳴らすと家族が出迎えてくれて合流した。
家族構成としては日本人のお父さんとフランス人の奥さんと子供が2人。
喋るときは基本は英語。
ただ、僕はあまり英語はわからないので、なるべく日本語で会話をしてもらっていた。
その日は家族の人が僕以外に3人の友人を招待していたので、家族とその友人3名と一緒に食事をとった。
招待された友人3名は国籍がバラバラで、食卓を囲んで話すときは基本は英語で話していたが、どうしてもわからない時は僕は日本語で会話をしていた。
英語の内容としては何となくは何の話をしているかわかっても、内容までは理解できない時が多い。
そんな状況で僕はどうしても緊張が抜けなかった。
あまり何を話しているかわからず、伝える事も上手くできない。もどかしかった。
家族の友人で来ていた人の中に1人綺麗な女の人がいた。
彼女は日本人とフランス人のハーフで名前はサラさん。
片言の日本語と基本は英語やフランス語を話している。まだ日本には来て2年ほどだと言っていた。
聞くとフランスに住んだりアメリカに住んだりと転々としていてあまり故郷らしい故郷はないとの事。
今はおばあちゃんの地元がとても気に入ったので日本に住んでいるらしい。
他の2人にも出身を聞いてみたが、ここと言える故郷がないらしい。
そんな環境の人たちに会う事も少ないのでとても興味深い話だ。
島で暮らしていると、中学までしか学校がないので、高校生になるには強制的に島を出る事になる。
2歳から保育園が始まり、そこから同じ同級生と中学卒業までの約13年を一緒に過ごす。
新しい友達も珍しい、あまり外の人と出会いがない子達が多いのは島に暮らしていたら当然のことで、これは故郷らしい場所がないと言う人達とは真逆に近い。
逆にその子たちは故郷しかないのだ。他に出る場所もなく過ごす環境も決まっているので、
高校生になったら、同時に島を出て新しい環境に慣れないといけない。
そうなると新しい友達の作り方が分からなく精神的に疲れてしまって高校を辞めて島に帰って来る子も確かにいる。
そんな子達も故郷だけで暮らしすぎてしまった辛さがもちろんあると思う。
逆にあちこち転々としていて深い仲の子も少なく、あまり自分の落ち着く場所がないような環境で育ってしまう人とは両極端な話だ。
僕は小学生の時に転校をして高校からは男子寮だったので程々に新しい環境に触れる機会はあったが、それでもそこまで極端な生い立ちだと心境が全くわからない。
ただ、1つ思うのは故郷なんて曖昧なものだと言う事。
実家が僕の帰るところだ。
実家がある街が僕の故郷となる。
小学校途中で引っ越してきた街に6年程、住んで15歳で実家を出て高校の寮で住みながら、卒業する頃にはカヤックガイドになりたくて南の島に行ったのであまり故郷には関わりがなくなったが、たまに帰るった時に見える街並みは変わっている。
昔は活気が幾分かあった商店街も今では、無駄に羅列した大型スーパーやコンビニに飲み込まれ商店街も閑散としてしまった。
小学生の時に友達と万引きをして自分流のやり方や、1回の入店で誰が一番多く取ってこれるか競っていた駄菓子屋は駐車場になり跡形もなくなってしまった。
おばあちゃんも歳だったし、想い出の店が無くなってしまうのはしょうがないけどやはり寂しさを感じる。
みんなが口を揃えて不味いと評判だったラーメン屋はインドカレーのお店になっっていた。
前回、帰った時にそこのカレーを食べてみたが、なんでもかんでも激甘でびっくりするくらいまずかった。
他のお店もコンビニになったり、シャッターが閉まったままの建物も多くなっている。
両親も会う度にどんどん年をとっていて老けていく。
故郷なんて常に変化するのだ。
思い描く故郷の姿は自分の思い出の中にしかなく、それでも思い出の姿を追い続けてしまう。
そのギャップが現実として自分の実感になった時にそれが少し心寂しいノスタルジーを生み出す。
それを感じることが出来る土地が故郷だと僕は思うのだ。
僕も高校を卒業して18歳から6年ほど島に住んで、お世話になった人や思い出のある場所、家族のように過ごした人達が住んでいる。
ここは他の場所に行ったとしても故郷になるだろうと思っている。
再び島に来た時は島の雰囲気や住んでいる人も変わっていて、少し寂しさを感じるだろう。
なのであまり故郷はハッキリとした物ではないのではないだろうか。
この話を故郷が無いと言っている人たちに上手く伝えられないと、ただ気にしている事をえぐりそうで、気が引けて言えなかった。
初対面の人が多く緊張していたが、お酒も入り徐々に気もほぐれて来ていた。
拙い英語でみんなの会話の中に入ってみたが、以外と通じているようで嬉しい。
と思っていたら急に日本語で聞かれたりして、「ああ通じてなかったんだ」と思う事もしばしば。
それも新鮮で楽しく過ごせた。
気がつけば徐々に解散になり、僕も部屋に戻り眠りについた。
3週間の本州滞在も終わり僕は島に帰って、いつもと同じ日々を過ごしていた。
ある日ふと、最後いつ開いたかわからないフェイスブック覗いてみた。
知らない人から来ている友達申請の中に京都で食事をしたサラさんから友達申請がきているのに気づいて、すぐに承認してそれからメッセージを送った。
「サラさん 友達申請ありがとうございます。沖縄にくる事があれば連絡ください」
と社交辞令を踏まえた、紳士的な大人の対応文を打ち終わると僕は送信ボタンを押した。
その日のうちに彼女からは返信があり、見てみると英語で書いてある。
Google翻訳を使い日本語にしてみると
「友達に登録してくれてありがとうございます。そちらの天気はどうですか?」
返信が来て嬉しかった。
しかも「?」がついているということは、これはラリーを続行させましょう。という意味で、
私はあなたと連絡をしたいという表れだ。
更に深く掘り下げると
もっとあなたのことが知りたい。
もっと私の事をあなたに理解してほしい。
あなたと分かりあいたい。
私はあなたを欲している。
抱いて。
僕の脳内コンピューターが弾き出した計算による答えは…
「キタこれ!」の一文字であった。
僕は高鳴る鼓動を抑え、慌てず、落ち着いた動きを装いながらゆっくりと丁寧な返信をした。
「僕の方は3月なのに短パンと半袖で生活しています。昼間なら海パン一丁で海にも入れましたよ笑 京都の天気はどうですか?」
さすがだ。
パーフェクトととしか言いようが無い。
まず文章の終わりに「?」を入れる事で、相手にラリーをする気がある事を伝える。それと同時にやりとりを続行させる効果を発揮させた。
相手に強制的に返答をさせるスペル「?」いやはや恐ろしい。
次に「海パン一丁でも昼間なら海に入れましたよ笑」
これにもまた高等テクニックが入っている。
分からない人が多いと思うので、文章を見てもらいたい。
「昼間なら海パン一丁で海にも入れましたよ笑」
見ての通り、何も面白く無い。
3月の昼間に海パン一丁で海に入れたと聞いて爆笑する奴がいたら申し訳ない。
ただ何度見ても、何も面白く無い。
なのに語尾に「笑」をつける事によって、何か面白い事のような気がしてしまう。
そして、ただの短い返信に抑揚をつけたような印象を与える。
恐ろしいそれが「笑」のスペル効果だ。
あと1つ言えば、相手は日本語が苦手で英語でメールを打っているので、日本語じゃ単純に伝わらない。
読むために翻訳を通したら、「3月に海パンで海に入れたラフター」
などの意味のわからない文になっているかもしれない。
恐ろしい。
これで彼女の気が冷めてしまったら2度と返信は帰ってこないであろう。
不安な時間を過ごしながら、1分に83回と恐ろしいペースでフェイスブックを開いては閉じていた。
半年以上は開いていなかったフェイスブックも急な激務にさぞ驚いた事だろう。
しばらくして、彼女からの連絡がきた。
急いでメッセージを開いて内容を見まくった。
「カリフォルニアの天気はいいですよ。
アメリカには来たことありますか?」
?????????
何をバグった事を言っているんだ。
頭の中もう大パニックですよ。
全く話が噛み合ってない。
しゃぶしゃぶを食べてる白人さんが、鍋の中心にある煙突みたいな所で肉焼いちゃってるのを見たけど、あれ本人は日本文化を体験してるように感じてるけど、体験できてないから。
卓上で新しい食べ方発明してるだけだから。
そのくらい噛み合ってないわけ。
焼かれた肉も焦ってるよ「俺これ何料理なの?俺ってなに国籍なの?」
故郷も無いまま食べられてあんなに薄くまで切られて準備されてるのに、肉も未練タラタラな事だろう。
でも、ここで焦っちゃいけないなと思って体制を整えたんですよ。
ガイドはどんな状況でもパニクっちゃいけない。頭が乱すと集団は崩壊する。
ガイドの心得を思い出して、俺は冷静になって返信を返す。
「僕はアメリカに入った事ないんですよね。サラさんの趣味は何ですか?」
見事だ。
普段、ツアー中にお客さんとのやりとりで上達したトークテクニックが炸裂している。
すぐに軌道修正を入れて、何もなかった京都なんて単語は、最初から存在してなかった如く振る舞う。
ツアー中にお客さんの話が聞き取れなくて、聞き直してもなんて言ってるか分からない時に「そうですよね〜」と流す、得意のスルースキルが役立っていた。
ちなみにお客さんが僕に質問してい時は、「そうですよね〜」と流しても「○○何ですか!?」と強めに聞き直されて、適当に流したのを見抜かれ、カウンターを食らうときもある。
サラさんの返信は
「私は映画鑑賞と娘と散歩する時かな。あなたは何が趣味?」と返信が来ていた。
ゔぇ!!
娘さんいるの?!
びっくりというか会った時に独身って言ってた気がするけど…
困惑しながら会話を思い出そうとしてみたが、あまり会話が思い出せない。
英語主体の会話だと記憶に残すのはかなり難しかった。
っていうか カリフォルニアの流れなんなの?
それでも冷静に僕は返信を返した。
「僕も映画鑑賞好きですよ。サラさん娘さんいるんですね。一緒に日本にきているんですか?」
段々、話が噛み合わなくなっているのが不安なので娘さんの事に突っ込むしかなかった。
すぐに返信が来たから恐る恐る覗いてみると…
「私はサラじゃなくてAVIです。アメリカのカリフォルニアに住んでいますよ。日本にはいった事がないです」
ビンゴ!!
やっぱりか!
思ってた通り知らない人だよ。
てか誰だよ。
何の手違いでこうなったのか見てたら、そもそもサラさんじゃなくて、間違えて知らない人にメッセージ送ってたや。
マァジカ。
馬鹿すぎる。
てかカリフォルニアの時点で聞いとけばよかった。
薄々自分でわかっていたのに、それでも細やかな楽しみを壊したくなかった少し前の自分に教えてあげたい。
「それ、知らん人やで。」
この一言で全て終わったはずなのに。。。。。。。。
しょぼくれた僕は友達に連絡をして、一緒に飯を食いにいった。
いつもと同じ飯屋の同じ席について、同じメニューを頼んだ。
安定の味を食べ、カチャカチャと器に箸が当たる音だけがする。
突然、僕は友達に質問していた。
「彼女ってどう作るの?」