アウトドアガイドの夏休み2

 

 

前回に引き続き沖縄は緊急事態で僕の住む島のガイドの人たちは仕事が無い日が続いている。

そんな時にベテランガイドの先輩が島に住む若手ガイドの育成と交流を含めた1週間のワークショップを開催するとの事でそこに招待していただいた。

流石に1週間は休みが取れない人が多いので、前半2泊3日と後半3泊4日に分けての開催になり、僕は1週間休みが取れたので、前半と後半どちらも参加した。

他の参加者は前半だけ来る人が多く後半は半分も人数がいなかった。プランとしては前半は島の東側、後半は西側を周る。

今回は特に荒れたところなども無く平和であった。ただ、屋外で数日過ごしていると食料や水に限りがあるので考えて使わないといけないという普段はない制限がある。空が白み始めると自然と目が覚めたり、電波が無ければネットはもちろん天気予報も頼れないので自分で気づくための繊細さが出てくる。気づくのが遅れれば水もない無人島に取り残されて食料も無くなれば終わりだ。まして海の上なら死んでもおかしくない。

ガイドとして仕事をしている僕も長期で休みを取ってカヤックで移動しながらキャンプで過ごすというのは非日常だ。

なので今回は前半の記録にしようと思う。

 

 

出発当日の朝に友人の車に相乗りさせてもらいカヤックと2泊3日分の食料と道具一式を積み込むと僕らは集合場所の港に向かった。

今回のワークショップとしての目的はカヤックでのガイディングがテーマになっていた。中でも島から島へ移動するアイランドホッピングと言われる場面を中心にAさんに手ほどきをしてもらう機会であった。

集合場所に着くともうほとんど前半のメンバーが揃っていて、各々カヤックにキャンプ道具を詰め込んでいる。

僕らもカヤックを降ろして荷物を詰め始めた頃、今回の集まりの主催者 Aさんが到着した。

軽く挨拶をして、みんな準備を済ませた後、Aさんを中心にミーティングを行った。荷物の準備の時点で荷物の積み方やいざという場面で使う道具のセットの仕方をアドバイスを受けて最終チェックをしてから僕らは出発した。

初日はカヤックで近くの島まで渡り、人数も9人と多いのでお昼くらいには上陸してゆっくり過ごす予定だ。みんなどのくらい出来るかは分からないので、グループとしての確認を含めた動きであった。

9時ごろには港を出発して目的地の島を目指して漕ぎ始めた。

 

天気的には北東風が吹いていたが、特別強いわけでもなく最初は問題も無く周りの人と話しながら漕いでいた。1時間半ほど進み時刻は10時半頃で気温が上がって風が強くなってくる時間帯であり、予定通り風速も6~7m位と強くなってきていた。

僕らは自分たちの住む島の南東側からそのまま直線にある島を目指して漕いでいた。北東から風を受けるとちょうどカヤックの左側からバシャバシャと風波がかる。

フェリーグライドと言われる航海技術で風や潮の流れを予想して目的地に直線では無く最初から流されることを想定して少しずらしたポイントを狙って渡る方法があり僕らも左からくる風に対して目的地から左側にずらした場所を狙って進んでいた。

途中、両方の島から伸びるリーフとリーフの間の深いポイントに何日か吹き続けた南風の影響でその日は1.5~2m位のウネリが集中して入っていた。南側から来るウネリは僕らの右側から分厚い波がカヤックを押し上げては波と波の谷に下げる動きを足してくる。ゆっくりなテンポで来るウネリとそれより速いテンポでかかる風波に挟まれた状況で、どちらも特別大きかったり強かったりする訳では無いのだが、やや漕ぎづらかった。

丁度僕はAさんの近くを漕いでいたので「ウネリと風波が逆から吹いていて、これが更に強くなるとどういう状況が起こりやすいですか?」と質問をしてみた。すると「三角波が立ちやすかったりもするが、それは地形にもよるから一概には言えない。それより今を楽しめ!」と返事が帰ってきたので、僕は言われた通り楽しむ事にした。徐々に後ろからも波が来る様なグチャグチャとした状況になった。後ろから来る波に乗って遊びながら進んでいるといつの間にか目的地の島のリーフに入った。

深みは抜けたのでウネリは落ち着いて、風波だけがバシャバシャと立っていたが、目的地の浜までは風下と同じ方向に進むので楽だった。今回の1週間で一番漕ぎづらいのが初日のこの時だけであった。

 

予想通り12時には目的地の浜に上陸した。カヤックを降りて各々自分のテントを張って、Aさんのタープの下でとりあえずビールで乾杯をした。その後ミーティングをして今回のAさんのガイディングや海況などを踏まえて自分1人で漕いでいたら途中のウネリの出たポイントはどうしたかなどを話した。僕は1人でも渡っていたが今回使っていたスカートが古く水が徐々に自分の乗っている中に入っているのがわかっていたのでそこが問題であった。

シーカヤックは基本、乗り込み口の前後に荷物入れのスペースがあり自分の乗っている所とは壁で仕切られているので乗り口に水が入っても沈まない仕組みになっている。更に乗り口にも水が入らない様にスカートと言われる道具で乗り口を覆うことで水が入ってくるのを防ぐのだ僕はそれが疎かだったので、それの重要性を改めて確認した。今日通って来たルートの説明や途中ウネリが立ちやすい場所がなぜあったのかとAさんから説明を受けて、ミーティングも早々に終わり自由時間になった。僕はビールのタブを開けて昼からお酒を楽しんだ。他には浜で寝っ転がって日焼けしてる人や、写真を撮る人、海に浸かってのんびりしている人と各々好きに午後のバカンスを過ごしていた。

お昼を済ませて、3時頃から魚を突きに行こうと話になった。カヤックを出して近くの深場で今夜のご馳走を獲りに向かった。

僕は魚を突く道具は持っていないので、見釣君と言われる泳ぎ釣り道具を持っていた。シュノーケルをして魚を見ながら釣れる30㎝くらいのおもちゃの様な物だ。

カヤックをアンカーで留めてシュノーケルを付けて海に入った。水の中でフィンを履こうと浮力のある見釣君が流されない様にエサ付の針を岩に掛けて、パパッとフィンを履いて視線を戻すと見釣君は無くなっていた。

最初は針が外れたのかと思い流される方向を探したが、目を離したのは10秒も無いのでそんな見えなくなるほど遠くに行くとも思えなかった。沈んだのかもと海底も見ていたが全く見つからない。

結局、僕は2時間ほど見釣君を探しつつシュノーケルをしてみんなと一緒に浜に帰った。

見釣君はどこに行ったのか浜に帰りながら考えていたが餌がついていたので多分魚が食って針に驚いて見釣君をつけて泳いでしまったのだろうと思う。本当に魚には申し訳ないことをした。

 

17時にはみんな浜に帰ってきた。先に戻って焚き火の準備を始めている人のお陰で早くから晩飯の準備が始めれた。魚を取った人は捌いて刺し盛りを作っていた。薪に火をつけて皆それぞれ自分の晩飯を作っている。

初日は保冷バックに入れれば生の食材をを持って来れるので、僕はキンキンのビールを飲みながら持ってきた鳥肉を焼いてみんなのツマミと交換した。魚は煮付けと刺身になっていて、Aさんが持ってきたイノシシ肉も焚き火の上で豪快に表面を焼いて大量にイノシシのタタキも出てきた。

もう食えないよと言うほどの豪華な食べ物に囲まれて幸せだった。一緒にキャンプに行ったことがない人もいたので、そんな人たちとも会話をしながら次第に夜も更けて行った。

普段、一緒にカヤックでツーリングに行ったりキャンプをしたり出来ない人達が一緒にいるのだが結局人数が多いと深く話す事も無くいつもの友達と話していることが多くなってしまう。

結局この日もあまり話さなかった人もいたが、初日だと思ってそんなに気に留めていなかった。今回大人数で初めてカヤック旅をして感じた事は、人数が多いと旅自体はグループとして濃くなるのは難しいと感じた。

どういう事か説明すると、大人数では全体の中にまた2、3人の小さなグループが自然と出来るので一緒に行動していても意外と同じ物を見ていない。カヤックやキャンプの経験差でもまた思う事は変わってくるので、一緒に過ごした気はするけど一緒に行った人でも何を感じたり考えたのかあまりわからない事が多かった。

 

夜も更け誰かが野牛さがしでもしますか!とふざけて言っていたが僕は野牛が島にいる事を初めて知った。

僕らがキャンプをしてる島は牧場があり、柵が壊れたところから牛が出入りしていて島中に野牛がいるそうだ。最初僕は乗り気だったが話を聞くにつれてだんだん行く気がしなくなってきた。なぜなら大きくてとても気性が荒いそうなのだ。更に牛には敵わないイメージがあったからであった。

沖縄本島中部では闘牛大会が盛んで今だに年数回単位で大会が行われている。闘牛というとスペインのイメージだが、沖縄の闘牛は牛VS人ではなく闘争心のある牡牛同士を円形のドームの中で戦わせるのだ。沖縄では大衆娯楽としても馴染みが強く昔はテレビで放送までされていたほど。僕は以前見に行った事があるが、最大だと1トン級のクラスもあり大きな牛同士がぶつかる音は生き物が当たってる音とは思えなかった。岩と岩をぶつけた様な硬い衝撃音が2階建のスタジアムいっぱいに広がるのだ。

サイズも1トン級となると177㎝ある僕より牛の背中の方が高かった。他にも牛が恐ろしいと思った事があった。

 

前にバイトで季節労働の工場で働いてたそんなある日。夜勤明けにスーパーに行こうと原付に乗っていたら、仲の良かった40過ぎのおじさんが額から血を流して右手で左肩を抑えながらびっこを引いて歩いていた。

予想外の姿に心配しておじさんに声を掛けてみると青ざめた様子で何があったか話してくれた。経緯が気になってしまって僕も固唾を飲んでおじさんの一言一言を聞いた。

普段から酔っ払ってることの多いおじさんは、牛のうんこから生えると言われるマジックマッシュルームで酔っ払ってみたいと興味が湧いて、工場の近くにある牧場に友人2人を連れて3人で夜中に忍び込んだ。

牧場を囲む有刺鉄線を抜けておじさん達はライトで一個一個うんこを照らしながら散策していたが、一向にキノコは見つからずに時間だけ過ぎて、気がつけば空も明るくなり始めている。諦めてそろそろ帰ろうとなった頃。3人で冊に向かって歩いていると一頭のデカイ牛がジッとこちらを見ている。気づいていたが気に留めずに歩いていると、突然牛が怒り狂い一番近くにいたおじさんに体当たりをかましてきた。牛の咆哮と軽々と人が宙に軽々と舞う姿を見た友人2人は一目散に柵を越えて逃げ出してしまい。振り向きもせずに走って逃げてしまった。

一方、宙を舞い終えたおじさんは地面に這いつくばりながら柵を目指すが、興奮した牛のツノで何度も突かれ宙に舞っては牛糞まみれの地面を転がりもがいた。まだ薄明るい早朝に40過ぎのおじさんがひたすら牛に投げ飛ばされている。誰もいないのでもちろん助けてもらえず、終いには背中を硬い蹄で踏まれて衝撃でギックリ腰になってしまった。外からも中からも激痛に苦しみながら有刺鉄線に命からがら捕まりザリザリに切り傷を作りながらなんとか柵を超えおじさんは生還した。「なにが牛を刺激をしたのかわからない」と語るおじさんは赤いTシャツを着ていた。

話が逸れたが、そんな思い出があるので気の荒い野牛には絶対に会いたくなかった。

結局、牛を探しにはいかなかったが、眠ろうと砂浜の上にマットを引いてそこで眠ろうとしていたら茂みの奥でバキバキと枝を踏む音がする。大きさ的に絶対牛だとわかってからは牛が近くに居るのが気になってしまって初日はなかなか眠れなかった。

 

朝、目を覚ますと7時少し前。9時には出発なのでそれまでにテントとキャンプ跡を片付けて、朝飯をすませるとちょうどミーティングの時間なった。

2日目もキャンプ予定の島に真っ直ぐ行くと早く着きすぎてしまうので、途中近くを通る島を散策したり、サンゴのかけらで出来た浜で記念撮影をしようとAさんからの流れを聞いた。

海の上にサンゴのかけらで出来た浜が最近現れたらしく、午前中はAさんをリーダーにその浜に向かう。午後からはリーダーを要所要所で変えながら目的地に向かう事になった。

 

天気も穏やかで、僕らは写真を撮る余裕もあり楽しみながら漕いでいた。人の住んで居る島から少し離れるだけでとても海の色が綺麗になる。海の中を覗き込み、青の濃さに興奮しながら僕らは目的のサンゴのかけらで出来た浜に到着した。

サンゴのかけらが押し上げられて沖合に出ているのは沖縄でもかなり珍しい。石垣島近くの幻の浜や西表島にあるバラス島が有名で、どちらも満潮時はほとんど沈んでしまう様だ。島と言うより干潟に近い。

幻の浜は観光客相手にできた名前で本当は浜島。名前の通り浜しかないのでわかりやすい。大きさは随一で西表島近くにあるバラス島は諸説ある様だが、僕が聞いたのは建設用語でコンクリートに混ぜる砂利をバラストと言うそうで昔はそこから取っていたのでバラストと呼ばれていたがトが島と勘違いされいつからかバラス島と呼ばれる様になったそうだ。海流や風の影響で周りのサンゴのかけらが集められて出来ているのでタイミングによって大きさは変わる。

僕らが浜に上がった時間は満潮頃で今現在ではかなり高さがある。9艇はカヤックをあげられたので広さもそれなりにあった。時期によっては小さくなったり大きくなったりと変化する。今回は季節風で南側の風が吹き付ける日が多かったのでその波で押し上げられて海面から現れた様だ。台風が来た後も波に押し上げられて浜が大きくなったりと変化があるので、穏やかな時が続くと周りに広がって高さがなくなり海から出てこなくなってしまう。

 

上陸後、僕らは記念撮影をすませると、この後のリーダーをAさんが決めた。指名されたのはAさんの友人でもあるIさんであった。Iさんは40歳手前の僕の先輩でこの後はIさんを先頭に僕たちはカヤックを漕ぎ始めた。

他の人とカヤックでツーリングする時にリーダーを決める事はかなり重要だ。漕げる人が集まればついつい安心な気持ちになって油断しがちであるが、安心と安全は別である。初めて友人ガイドと漕ぎに行った時はその事に気づかなくて

僕も痛い目をみた。どこか目的地に行くとした場合、海の上で喋りながらやんわりと場所を決めてしまうのは結局誰も判断をしっかりせず危ない状況になってから焦ったりするなんて事もあり得る。

なので出発前にグループの頭を作って進路を取る必要がある。今回は進路の取り方を勉強する集まりなので、色々と周りの人のアドバイスや質問を聞けるいい機会だ。

 

サンゴの浜から出発して向かうは10㎏近く離れた島だ。この日は南東側から風が吹いていて僕らは右側から風を受ける。目的地としているのは島の右端。ある程度の風で流される事が予想される。

Iさんは普段山のガイドをしていて、あまりカヤックに乗っているイメージがなかった。最初から島の右端をめがけて漕いでいたIさんを見て大丈夫かな?と少しコース取りに不安があった。フェザーグライド。風や流れを予想してコースを取らないと流されてしまうからだ。島渡り中の後半にやはり流された分の軌道修正をしているのがわかったので、大袈裟な位流されても大丈夫な様に進路をとって行かないといけないんだな。と僕もIさんを見て勉強になった。

今回9人と大人数で漕いでわかった事は、大体の場面で3グループ別れていた事だ。この時もそうだった。2、3人の先頭集団。次は4、5人位の先頭に少し距離が開いている。最後はまた2、3人の最後尾グループ。なかなか先頭とは距離が開いている。最後尾にいるとこれ以上に遅れられないので頑張って漕ぐのだが先頭もスピードに乗って漕いでいるのでなかなか難しい。なのでリーダーはこの後ろのグループにも気を使ってペースを見てあげないといけないのだが、今回の人数で慣れている人はAさん位でミーティングでは常に反省点にあがっていた。

大体2時間位で僕らは目指していた浜に到着した。

浜に着いてすぐにミーティングが行われた。Aさんの「Iに誰か意見やダメ出しある人」と言う質問に僕ら後輩たちは手を上げづらいので皆黙っていた。

そうしたら、「じゃあ俺が思った事言うよ。」と沈黙を破りAさんはIさんに意見を言い始めた。やはり最初に出ていた進路の取り方が問題に上がっていたが、Aさんの言い方が遠慮がなく思った事をズバズバと言っている。

僕ら後輩たちはどこを見ていいのかわからなかった。おじさんがおじさんを説教している姿は見るに耐えられない。さらに先輩だからなおさらで僕は目が泳ぎまくっていた。一通りAさんの意見が終わるとIさんは自分の進路取りに関して弁明をしていたが、Aさんの「それは言い訳に聞こえるけどな」と言う一言でIさんは八方塞がりになってしまい、その状況に僕の目はシンクロでも始めそうな勢いであった。

今になって思えば、あんなに友達にしっかりと意見をしたAさんは優しいなと思う。友達なら遠慮して言いづらくなってしまいそうだが、遠慮せずましてや商売敵に近いであろう相手に自分の経験をちゃんと教えてあげるAさんの器の大きさに尊敬する。

ミーティング後は昼休憩で食事を食べ、近くの自販機でジュースを飲んだ。また暑い時の冷たい炭酸は最高にうまい!ビールもいいが甘い物の方がこんな時は美味しく感じる。

缶ジュースを1人で2本飲みほしてまた出発前のミーティングをした。この次は僕の友達であるH君がリーダーに決まった。この日の目的地までは彼が先頭をする事に決まった。

後ろから先輩や同世代のプレッシャーを感じて必要以上に色々と考えて不安になってしまう。僕も以前リーダーをやった時に不安で中途半端な動きをしてしまい。Aさんに怒鳴られた。

特に問題もなく目的の浜に上陸した、そこから島で一番高い展望台に登り僕たちは周りの島の位置や海の状況を確認した。

その頃、R君がバックの中を漁りながら「ケータイがない」と言ってテンションが下がってる。思い返せば昼飯を食べた場所で使ったのが最後で この後港近くの浜に上陸して買い出しをする間にR君はレンタカーを借りて昼飯を食った浜に携帯を探しに行くことになった。

そうと決まるとR君は携帯がカヤックの中にないか確認してくると言って駆け足で展望台から降って行った。僕らもぞろぞろと歩きながら、カヤックの元に帰ったがそこで待っていたR君は首を横に振るだけで、ケータイはなかったそうだ。

次の浜までは10分もかからないで到着するところにあるので、そこまで移動してすぐにR君は車を借りに行った。僕も同伴することになり一緒に行ってみたが、レンタカーは3軒あったがどこも閉まっていた。

僕の電話で連絡してみると一件だけ出てもらえてどうしてもとお願いしたら、開けてくれた。レンタカー代を払うと僕らはすぐさま昼飯を食べた浜に向かった。

カヤックで移動中は状況にもよるが何も影響がなければ時速6~7キロほど進んでいる。昼飯を食べた浜から今いる港近くまで来るのに1時間くらいかかった。車だと60キロは出ていて、しかも島の外周を回るカヤックとは違い島内最短の距離で移動できるので10分かからない位で目的の浜についた。人力で移動した後にあっという間に同じ場所に戻ってくると、来た道のりがあっけなさすぎて虚しく感じてしまう。時間も携帯もないからもちろんしょうがないのだけど。

僕とR君は携帯を見落とさない様に浜を歩いた。

僕はR君が飯を食っていた茂み近くを、R君はカヤックを置いていた水辺近くを探して歩いていると、「あった。」と軽々見つけたR君。もうちょっとリアクションがあるかと思っていたけどとりあえず見つかって良かった。

帰りにR君は待たせたみんなに差し入れでビールを買っていた。結局、予定より小1時間遅くなって目的の島を目指した。目指したと言ってもすぐ目の前の小さな島なので、30分程度で到着した。

上陸後は、R君の差し入れの冷えたビールで乾杯をして18時頃に自由時間となったので僕は高台から周りの海の景色を眺めて、魚突きに行くR君と一緒に先に魚突きに行ったメンバーのいるポイントに向かった。

R君はカヤックで行くよと言っているが、荷物満載のカヤックを1人で運ぶのがしんどかったので、200メートルくらい離れた沖まで泳ぐことにした。距離的にもパパッと行けるだろうと思っていたが、今思えばめんどくさいに負けてめんどくさいことをしていた。カヤックの方が泳ぐより断然早いので、僕も最初から荷物を出してカヤックで行けば良かった。

 

魚突き組に遅れて到着した僕は前日に無くして魚を獲る道具は持っていないので獲ってる人を見るしかなかった。ただ見ていても飽きるので、いい波が立っている場所で泳いでボディーサーフィン的な遊びをして楽しんでいたら

あっという間に日も落ちかけている。時刻は19時半を指していて、海に行く前にAさんから「あまり遅くなるな」と忠告を受けていたので僕らは大急ぎで帰り始めた。

カヤックで来てなかった僕はR君ののていたカヤックのデッキにうつ伏せで乗せてもらってすごく不自然な形で帰った。帰り途中R君が漕いでくれているののせめてもの手伝いになればと僕は手で漕いでみたらかなりスピードが出たので、R君は僕が手を止めるたびに「ターボやってターボやって!」と子供の様に言っていた。手で漕ぎ始めるとキャッキャと喜び最後なんかは「ターボターボ」と語彙力も失っていたので、さすがに童心に帰り過ぎだと思う。

 

もう浜についた頃は20時近くなり日も沈み空は薄暗くなっていた。

急いで食事の準備に取り掛かったが、僕らが食事の準備ができる頃にはAさんはもう食べ終わり、薪に火をつけていた。

僕らは飯を食べ終わるとすぐに焚き火を囲んでいる輪に遅れて入りミーティングが始まった。H君の午後のリーダーとしてのダメ出しやここが良かったなどの反省会もひと段落して、Aさんは夕方海に行っていたメンバーが遅く帰って来たことに淡々と怒り始めた。ミーティングが終わった後にR君は僕がカヤックで来なかったせいで怒られたと言っていた。僕としてはそもそも僕がカヤックで来ていても帰った時間に大した差はなく他のメンバーも先に浜についていたが、怒られていたので、どっちにしろ怒られていた。なんなら携帯忘れなければ後1時間くらいは時間にゆとりがあったのであんなに焦って海に入ることもなかったではないかと思う。この旅のMVPやらかし王のRだけには言われたくなかった。マジでムカついた。注意を受けたことに対してどうすれば良かったのかではなく、アイツのせいだ!とRは短絡的な考えでいるから何度もカメラや携帯を壊したり、無くしているのだと思う。同じ過ちを繰り返さない為にどうするかが話の重要な所だからだ。こんな所でガッツリ愚痴っている奴が友達だったら僕は仲良くしたくない。

 

焚き火を囲んで皆でワイワイ喋っているとお酒も進んで、気がつくとまた1人また1人と消えていった。

最終的には僕とAさんだけになり、普段あまり2人で話すことがないので、色々とAさんについて聞けた良い時間になった。

少ししてAさんもテントの中に消えて行った。天気もいいので、僕は焚き火の横にマットを敷いて眠ることにした。星が綺麗な夜であった。

最終日の朝は蒸し暑さで起こされた。時刻は6時、焚き火も灰をかぶりもう昨日の夜は終わった事を告げている。

食事を暖めたかったので、灰の底からまだ熱を帯びている炭を搔き出してそこに細い枝を加えてフゥーと息をかけてあげるとまた小さく火が起きる。鍋を温められる位に火が安定したら昨日の晩飯を熱して朝ごはんにした。

 

キャンプ中の食事では、基本は常温で長期保存が効く物が必須項目になってくる。乾類や缶詰、レトルトなんかが定番だ。車でキャンプをしにいくだけならそんなこと考えなくていいが、南国でカヤックキャンプをする時は保冷はどんだけ頑張っても2日持てば最高だ。最近ではフリーズドライも充実していて具材もしっかりしているので野菜や肉がキャンプ地で食べれるのは嬉しい。ただ、おかず1つが安くても200円はするのと量が少なめなので飯を多く食べる人は足りないので値が張ってしまう。僕もよく飯を食べるので自分で作った方が安く済む。それに試行錯誤して作るのが楽しい。

僕はパスタを作ることが多い。カヤック中は飲み水も限られているので、パスタを煮ながらそこにスープの素と缶詰を足して茹で汁をソースにして食べることが多い。

詳しく紹介すると長くなってしまうので食事はまた別で詳しく紹介しようと思う。

 

僕らは3日目の朝を迎えて体が慣れて来たのか、皆朝起きるのが早くなっていて、予定の30分前にはミーティングをしていた。Aさんの指名でその日はR君をリーダーに出発をした。

今日の予定としては昨日来たルートを通りながら、途中にある水道を超えて僕らは出発元の島に帰り1日目の出発場所とは別の浜で上陸する予定になっていた。距離的には12~3キロ程度。休憩も入れれば3時間程度で目的地に到着できる予定となる。途中通る水道とは水が集中して動く所を指している。周りの潮の流れがそこに集まるので、流れが強くなる。ただ、場所や条件によってかなり差があるので、一概には何とも言えないが、ここの水道は流れに対して漕ぎ続けても全く進まなかったという噂を聞いたこともある。僕は今までそんな時に出くわしたことがないのでわからないが。今回は横断で通った距離も1.5キロ程度の短い距離だ。

ミーティングも終わり、朝9時頃に出発してからはR君はこまめにみんなの様子を見ながら要所要所で休憩を挟んでくれた。おかげでこの3日間で一番まとまって行動することができた。水道を目の前にして一度集まってから横断をし始めた。横断自体は30分もかからないで渡れるほどあっという間で特に流されることも無く問題もなかった。そこからはリーフ内の穏やかな中を最短の直線で進んでいた。その日は南風で島の北側を岸沿いに漕いでいる僕たちは島側から吹いてくる風を左側から受けていたが、特別強い風ではなかったので影響もそこまでなかったが、Aさん曰く強くも無いが風も吹いていたのでもう少し岸沿いを漕いでもよかったと言っていた。朝の浜を出てから3時間ほどで目的の浜に着くことができた。

浜についてからはみんなで奴隷のように30~40キロはあるであろうカヤックを2人で運んで駐車場近くまで持ってくると、ミーティングを最後に行った。

2泊3日の感想を1人1人口にするのを聞いていて、僕は今回のワークショップを振り返っていた。9人という大人数でカヤックで旅をする機会はカヤック人口の少ない日本の中ではとても珍しい事だ。今回、なかなかできない体験になった。

1人でカヤックを漕ぐのは自分の体力や今までの経験と不安や好奇心が混ざった気持ちをベースにルートを決めるが、大人数だとそこが1人1人一致しないのでグループで漕ぐことを意識しないといけないのが全く違う所だ。

カヤックを始めた時にはコミュニティも無いのであまり周りにカヤックをやりたい人がいないので乗り気じゃ無くても1人で漕いでいた時も多かった。ただその時間のおかげで経験も上がって人に声をかけてもらえて最近は楽しくなっている

今回まだカヤックを始めたばかりの人も何人かいたのでそんな人と話しているとやはり最初の頃の我武者羅にやっている熱量のような物が最近は自分からかなり減っていることに気づいた。人と漕ぐのは楽しい。ただ人とツーリングしているとカヤックに集中できない。1人で黙々と漕ぎ続ける時間は正直言って楽しく無い。ただ自分で漕いでる時間は経験をあげるには1番いい時間になっていた。今回はその初心も思い出せもいい時間であった。